第二節 西陣物産会社の性格及機構
同会社は西陣織屋の組合、同会社名称の起源
会社と云う個有名詞は、明治二十九年民法、商法の公布により、法人たる会社が独占してしまった。西陣物産会社は名は同じでも、全々異なる性格の団体であつて、後年の組合である。又其下部組織に「社」と称するものが十八社結成せしめられた。故に社と会社の親子関係に於て、 混わしいものが出来て居る。
辞典を按ずるに、「団結して事を共にする者を社と曰う」とある。又「古は郷閭(きょうりょ)に二十五家を一組とし、之を一社と称せり、此社が相聚(あつま)りて団体をなすを社会と云う」、とあって。「会は合である」と註してあるから、西陣物産会社は此古辞と組織型体を、其儘に頂戴したものである。尤も前記註訳には社会と書いてあるが、今日の如く会社と云えば資本主義保守の代表者となり、社会と云えば革新思想をあらわす、といった区別はなく上下転々共に同意義であった。
徳川時代の、西陣織屋仲ヶ間は、今日の組合の元祖であると調われるが、其真の目的とする所は、織屋の名門が、特権保持の団体であり、八組中でも一番織屋の座中へ加入することは、中々に許されず、此組衆中以外の織屋は小前の者として、十把一絡げに取扱われた。
旧弊刷新により、全西陣織屋は、高機も、西機も、織屋としても、国民としても、平等の地位になつたのであるから、旧仲ヶ間の如くに、人権を無視した思想によつて造られたものは、此際解消せしめて、全く新しい出発点に立脚し、全西陣の組合団体を結成せしめねばならぬ。との考えから、京都府は、此名称により、設立することを命じたものであると思う。
西陣織物は昔から絹織物の大宗ではあるが、品種銘柄が雑多であるから、各専門生産によつて、織屋同志の利害関係が異るから、一律には行かないので、之れを十八品種別に区分し、夫々を社と称した。社には或程度の自治権を持たしめ、之を統一する者を会社とし、対外接衝、官庁への上意下達等の権限を持ち、其惣代役員は全西陣を代表して、官庁に対し総ゆる責任を負担せねばならぬこととした。
政体変革、忽忙の時であるから、中央政府は勿論地方官庁も共に法制も定まらず、京都府御政府の御思召は即ち法令であつて、否応なしに、承けたまわらねばならぬ代りに、困って泣付いた場合、一諾よく資金の貸賃下げも 実行せられた。
尚此西陣物産会社の名称は、明治十年の改組迄、変る事がなかったのであるが。明治三年正月京都府が、京都物産引立会所をば、京都の豪商を御用掛として設立し、同年七月物産引立総会社と改めた際、会社の出張所の名儀を併用した。
同会社の機構及役員
イ、品種別十八社下部組織
前項の通り、西陣産物を、品種銘柄別に十八分類し、各品種別に織屋を結束せしめ、之れを社と称した。
同一人の織屋が、二品種を生産している場合は、両社に所属するのは致方なく、後年の組合でも同様行われた。即ち、
模様社。金欄社。紗織社。博多社。繻子社。夏衣社。真古带社。綸子社。縮緬社。羽二重社。古带社。線子社。木綿社。天鵞絨社。真田社。精好社。絵絹社。練絹社。
であつて、夫々独立運営の機構としたが、事実は同会社の下働きの役が主であつた。
ロ、同会社役員と官の待遇
役員は十八社各社毎に、肝煎三名を置き、各社所属員が選挙したものを、京都府 に申達し。同庁は詮考の上適当と思う者を任命した。合計七十二名の肝煎は公任役人の資格である。
会社の役員は世話役と称し、其主任者は世話役惣代である。之れは京都府が任命した。
十八社肝煎が京都府から、如何なる待遇を受けたか、記録はないが、京都府から辞令を頂戴する事だけでも、光栄に感じた事であろう。会社の世話役に対しては左の辞令を交附した。
何某 氏 名
西陣物産会社諸世話可遂心配候事
明治二年十一月
京都府
世話役面々
日和田屋新七。井筒屋弥助。葛屋善兵衛。伏見屋新助。菊屋七右衛門。鳞形屋利兵衛。菊屋嘉兵衛。吉田次郎兵衛。武本治兵衛。丹波屋長右衛門。丹波屋利右衛門。
であつて、資産名望、西陣織屋の筋目も定かな者のみから任命し、多くは旧高機織物業者である。
之等の世話役は帯刀を許され、京都府庁溜りの間に参入をも許されたから、大に優遇せられたものである。故に次項に述べる如く、羽織袴帯刀で出務したようである。即ち一般仲買商とは官位に於て格が異ったし、言葉も侍調子になったのではないかとさえ思われる。
第三節 同会社の事業計画仕法書の内容
此会社の事業が、設立の主眼であるから、京都府の指図により、其仕法書を作成し提出したものであろう。
西陣織物産会社
乍恐奉窺候口上書
一、職業江仕込糸者和系商社より見積り高三十日之延金二而買入申度侯事
但糸壱個(三拾把)之内上中下有之候ニ付織品ニ応シ仕分ヶ致夫々組頭之者共より小前之者へ貸渡シ候事
一、右糸操縷者小前下職手明きの者雇入職業為致相応之賃銭遣シ候左候得者掠糸二番買之愁ひ無之自然元附安価之一助ニモ相成候様奉存候事
一、糸練物場所取建壱ヶ月之練高に応シ其月之入費糸目方高に割付候事
一、糸染之儀者藍染屋之外諸色者社中に染場所取建右練物之法ニ準シ候事
一、絹織立之儀者諸国及外国向をも精々弁知シ織立物安価ニ織上ヶ潤沢ニ売弘め申渡候間諸国
御府藩県下へ御通達奉願上其所江向候品柄色模様等承り度候事
一、絹売捌き方者一六ノ日絹中買御会所へ相集め入札を以売払可申候若不算之人有之候節者從御政府樣厳敷被仰付度奉願上候
但売残り之品者小前中買へ壱ヶ月之延金二而売渡シ可申自然不算之節へ右同断
一、会社潜売買致候者有之候節者社外可為事
一、諸国商人及素人江現金売之儀者定日ニ不拘日日附札之儘売渡侯事
一、御寮織物師卜唱苗字相名乗候者五戸有之此者一番織屋ニ而織立候品ト同様ノ品を乍織立居是迄一同江随心不致彼是旧弊申募居候得共御寮御用向之御品等も右一番之織屋内ニ而も織立相動来り候得者(そうらわば)右等之差別無之次第と存候間向後会社へ附属為致度候事
一、是迄小前ノ者へ賃織差出シ候向有之候処元糸並仕上ヶ糸絹等質物二差入候者在之及相対候ハバ不法之儀を申立言語同断の儀に候得共何分小前之者故為相済侯此儀杯へ質貸渡世之者は粗乍存知預り候向で有之嘆ヶは敷事二付以来右様之所行致者有之候ハバ被仰付被下度此段御願奉申上候
一、雇入奉公人取締之儀者其主人精々親篤に教諭を加へ職業勉励為致可若不行跡之動方有之候 ハ屹度社外いたし度候事
附惣体西陣之者とも積年弊習離離少々斗貨殖二相成候と遊惰致不景気ニ相成候と極難渋之向多分在之是等のもの今般屹度管轄仕度候。
右之通相成候ハハ仲買糸屋両口錢及掠糸之無愁も自然安価に相成捌方も宜敷相成申候会社取結之上者一統のもの親戚同様に相親しミ一己之私欲を省き当地衰微不相成様協心尽力仕永世不朽之基礎といたし度候間乍恐此段奉窺上候 以上
明治二已年十一月
右仕法書の可否窺奉った書面上欄に京都府の指令が貼付せられてある。仕法書の主眼は取引改善であるが、尚之れを事業別から見ると、要するに、共同購入、共同発註、一元集荷、共同販売と、殆ど昭和時代に来ての協同組合法に規定せられる事業の内容を挙げて、中小企業の進むべき道を、明白に唱つた立派なものである。単に取引改善と、一口に片付けるには勿体ない程の組合憲法である。所で此仕法書は、経費及事業資金に付ては何等触れて居ない。之れは恐らくは京都府から借入れる内諾があつて、明示する要が無かつたのであろう。
第四節 西陣困窮の次第
第一節に述べた如く、東京遷都により、先途に光明を失った西陣産業をば、回生振興せしめねばならないが。
其れは元より、個々の織屋が発達せねばならないのであつて、織屋が困窮極まって、総潰れとなる状態にありとすれば、先ず是れを防止して遣らねばならないのである。
西陣の大災厄は、古くは応仁。近世では享保、天明の大火を最大として、其数も多いが、今度のは天災地変で なくて、政治の変革による製品滞貨の災難である。其製品が又無価値にも成り兼ねない、不安な状態から来る危機であつた。
黒船来舶によつて、泰平の夢が破られてから十数年。政治の混乱と、治安秩序の紊乱が続いて、不安不景気の世の中をかこつても、西陣の機場に、将校の音が絶える程の事はなかつた。綾、鈴、金欄、殺子の製織は、日々続けられ、其襲産数量は、縦屋四、九〇〇○戸から年間約壱百万点以上に達して居た。之れが不景気で、売れぬと云つて仕事を手控えしても、日々相当数量の製品が溜る。殊に当時の西陣織屋の大部分は、製品が捌けぬとなると、忽ち其日の生活にも困る者が出来る。所が此時の不景気は政治革命による、需要層の崩壊と同時に起った、 服装の大転化によるものであるから、一時を忍ぶ如き甘いものでない、深刻さがあつた。
西陣織物の需要層は、往古から庶民階級ではなかったことは申迄も無い。慶応四年迄と調えると思うが、上は徳川将軍家から旗本八万騎。加州金沢前田侯百二万二千石の国守大名から、小禄一万石の小名に至る迄。二百六十の列藩、其れに従う家中侍。別しては禁裏と朝臣百三十五公卿と云つた堂上衆が、御得意様であつた。其人々の必需品である直衣、狩衣、直垂、素襖、大紋、肩衣、待等悉く不必要となり。又其等御得意様の経済状態が、 是迄の如く、大まかでは居られなくなつた。尚又廃仏棄却の思潮によつて、僧衣荘厳用裂地の需用が途絶したか ら、従来の用途の製品の捌口が消滅したのである。従而て売れない物を仕入れる仲買商も無く、買えと云うのも無理な訳である。
西陣の織屋で仲買と二足わらじを履く程の資力ある者は格別であるが、縦屋(よしや)専業である限り、御寮織物司であろうと、大舎人座の筋目であろうと、家の土蔵に千両千貫貯え寝かせている程の者は、一人も無いのが特色と云われ、大織屋は三代持たぬと云われる諺があるのも、此様な懐状態から生ずる、悪循環がある故に、窮迫するとなると急速度に困まつて来る。製品を抱え切れねば、倒産するより他はないのである。
此状態に於ては、当然滞貨品の投売りする者が生じ、生産地全般に値崩れさす不徳義者も生じるのが、西陣織屋の悪癖であるが、此時は製品の用途が、全然無くなつたものがあつて、投売も相手にならぬ、丸損の心配もあつた。とは云え、滞貨の中には売れる物もあり、必需品も沢山あつたが、織屋の脚下を見る、仲買商人の遅ましい商魂は、益強気で仕入れを控え、或は値をたたくから、取引の改善も、痛切に叫ばれる訳ともなつた。






















