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  • 西陣織物館記(明治二年、西陣物産会社(1))

    西陣織物館記(明治二年、西陣物産会社(1))

    第二節 西陣物産会社の性格及機構

    同会社は西陣織屋の組合、同会社名称の起源

    会社と云う個有名詞は、明治二十九年民法、商法の公布により、法人たる会社が独占してしまった。西陣物産会社は名は同じでも、全々異なる性格の団体であつて、後年の組合である。又其下部組織に「社」と称するものが十八社結成せしめられた。故に社と会社の親子関係に於て、 混わしいものが出来て居る。

    辞典を按ずるに、「団結して事を共にする者を社と曰う」とある。又「古は郷閭(きょうりょ)に二十五家を一組とし、之を一社と称せり、此社が相聚(あつま)りて団体をなすを社会と云う」、とあって。「会は合である」と註してあるから、西陣物産会社は此古辞と組織型体を、其儘に頂戴したものである。尤も前記註訳には社会と書いてあるが、今日の如く会社と云えば資本主義保守の代表者となり、社会と云えば革新思想をあらわす、といった区別はなく上下転々共に同意義であった。

    徳川時代の、西陣織屋仲ヶ間は、今日の組合の元祖であると調われるが、其真の目的とする所は、織屋の名門が、特権保持の団体であり、八組中でも一番織屋の座中へ加入することは、中々に許されず、此組衆中以外の織屋は小前の者として、十把一絡げに取扱われた。

    旧弊刷新により、全西陣織屋は、高機も、西機も、織屋としても、国民としても、平等の地位になつたのであるから、旧仲ヶ間の如くに、人権を無視した思想によつて造られたものは、此際解消せしめて、全く新しい出発点に立脚し、全西陣の組合団体を結成せしめねばならぬ。との考えから、京都府は、此名称により、設立することを命じたものであると思う。

    西陣織物は昔から絹織物の大宗ではあるが、品種銘柄が雑多であるから、各専門生産によつて、織屋同志の利害関係が異るから、一律には行かないので、之れを十八品種別に区分し、夫々を社と称した。社には或程度の自治権を持たしめ、之を統一する者を会社とし、対外接衝、官庁への上意下達等の権限を持ち、其惣代役員は全西陣を代表して、官庁に対し総ゆる責任を負担せねばならぬこととした。

    政体変革、忽忙の時であるから、中央政府は勿論地方官庁も共に法制も定まらず、京都府御政府の御思召は即ち法令であつて、否応なしに、承けたまわらねばならぬ代りに、困って泣付いた場合、一諾よく資金の貸賃下げも 実行せられた。

    尚此西陣物産会社の名称は、明治十年の改組迄、変る事がなかったのであるが。明治三年正月京都府が、京都物産引立会所をば、京都の豪商を御用掛として設立し、同年七月物産引立総会社と改めた際、会社の出張所の名儀を併用した。

    同会社の機構及役員

    イ、品種別十八社下部組織 

    前項の通り、西陣産物を、品種銘柄別に十八分類し、各品種別に織屋を結束せしめ、之れを社と称した。

    同一人の織屋が、二品種を生産している場合は、両社に所属するのは致方なく、後年の組合でも同様行われた。即ち、

    模様社。金欄社。紗織社。博多社。繻子社。夏衣社。真古带社。綸子社。縮緬社。羽二重社。古带社。線子社。木綿社。天鵞絨社。真田社。精好社。絵絹社。練絹社。

    であつて、夫々独立運営の機構としたが、事実は同会社の下働きの役が主であつた。

    ロ、同会社役員と官の待遇

    役員は十八社各社毎に、肝煎三名を置き、各社所属員が選挙したものを、京都府 に申達し。同庁は詮考の上適当と思う者を任命した。合計七十二名の肝煎は公任役人の資格である。

    会社の役員は世話役と称し、其主任者は世話役惣代である。之れは京都府が任命した。

    十八社肝煎が京都府から、如何なる待遇を受けたか、記録はないが、京都府から辞令を頂戴する事だけでも、光栄に感じた事であろう。会社の世話役に対しては左の辞令を交附した。

    何某 氏 名

    西陣物産会社諸世話可遂心配候事

    明治二年十一月

    京都府

    世話役面々

    日和田屋新七。井筒屋弥助。葛屋善兵衛。伏見屋新助。菊屋七右衛門。鳞形屋利兵衛。菊屋嘉兵衛。吉田次郎兵衛。武本治兵衛。丹波屋長右衛門。丹波屋利右衛門。

    であつて、資産名望、西陣織屋の筋目も定かな者のみから任命し、多くは旧高機織物業者である。

    之等の世話役は帯刀を許され、京都府庁溜りの間に参入をも許されたから、大に優遇せられたものである。故に次項に述べる如く、羽織袴帯刀で出務したようである。即ち一般仲買商とは官位に於て格が異ったし、言葉も侍調子になったのではないかとさえ思われる。

    第三節 同会社の事業計画仕法書の内容

    此会社の事業が、設立の主眼であるから、京都府の指図により、其仕法書を作成し提出したものであろう。

    西陣織物産会社

    乍恐奉窺候口上書

    一、職業江仕込糸者和系商社より見積り高三十日之延金二而買入申度侯事

    但糸壱個(三拾把)之内上中下有之候ニ付織品ニ応シ仕分ヶ致夫々組頭之者共より小前之者へ貸渡シ候事

    一、右糸操縷者小前下職手明きの者雇入職業為致相応之賃銭遣シ候左候得者掠糸二番買之愁ひ無之自然元附安価之一助ニモ相成候様奉存候事

    一、糸練物場所取建壱ヶ月之練高に応シ其月之入費糸目方高に割付候事

    一、糸染之儀者藍染屋之外諸色者社中に染場所取建右練物之法ニ準シ候事

    一、絹織立之儀者諸国及外国向をも精々弁知シ織立物安価ニ織上ヶ潤沢ニ売弘め申渡候間諸国

    御府藩県下へ御通達奉願上其所江向候品柄色模様等承り度候事

    一、絹売捌き方者一六ノ日絹中買御会所へ相集め入札を以売払可申候若不算之人有之候節者從御政府樣厳敷被仰付度奉願上候

    但売残り之品者小前中買へ壱ヶ月之延金二而売渡シ可申自然不算之節へ右同断

    一、会社潜売買致候者有之候節者社外可為事

    一、諸国商人及素人江現金売之儀者定日ニ不拘日日附札之儘売渡侯事

    一、御寮織物師卜唱苗字相名乗候者五戸有之此者一番織屋ニ而織立候品ト同様ノ品を乍織立居是迄一同江随心不致彼是旧弊申募居候得共御寮御用向之御品等も右一番之織屋内ニ而も織立相動来り候得者(そうらわば)右等之差別無之次第と存候間向後会社へ附属為致度候事

    一、是迄小前ノ者へ賃織差出シ候向有之候処元糸並仕上ヶ糸絹等質物二差入候者在之及相対候ハバ不法之儀を申立言語同断の儀に候得共何分小前之者故為相済侯此儀杯へ質貸渡世之者は粗乍存知預り候向で有之嘆ヶは敷事二付以来右様之所行致者有之候ハバ被仰付被下度此段御願奉申上候

    一、雇入奉公人取締之儀者其主人精々親篤に教諭を加へ職業勉励為致可若不行跡之動方有之候 ハ屹度社外いたし度候事

    附惣体西陣之者とも積年弊習離離少々斗貨殖二相成候と遊惰致不景気ニ相成候と極難渋之向多分在之是等のもの今般屹度管轄仕度候。

    右之通相成候ハハ仲買糸屋両口錢及掠糸之無愁も自然安価に相成捌方も宜敷相成申候会社取結之上者一統のもの親戚同様に相親しミ一己之私欲を省き当地衰微不相成様協心尽力仕永世不朽之基礎といたし度候間乍恐此段奉窺上候 以上

    明治二已年十一月

    右仕法書の可否窺奉った書面上欄に京都府の指令が貼付せられてある。仕法書の主眼は取引改善であるが、尚之れを事業別から見ると、要するに、共同購入、共同発註、一元集荷、共同販売と、殆ど昭和時代に来ての協同組合法に規定せられる事業の内容を挙げて、中小企業の進むべき道を、明白に唱つた立派なものである。単に取引改善と、一口に片付けるには勿体ない程の組合憲法である。所で此仕法書は、経費及事業資金に付ては何等触れて居ない。之れは恐らくは京都府から借入れる内諾があつて、明示する要が無かつたのであろう。

    第四節 西陣困窮の次第

    第一節に述べた如く、東京遷都により、先途に光明を失った西陣産業をば、回生振興せしめねばならないが。

    其れは元より、個々の織屋が発達せねばならないのであつて、織屋が困窮極まって、総潰れとなる状態にありとすれば、先ず是れを防止して遣らねばならないのである。

    西陣の大災厄は、古くは応仁。近世では享保、天明の大火を最大として、其数も多いが、今度のは天災地変で なくて、政治の変革による製品滞貨の災難である。其製品が又無価値にも成り兼ねない、不安な状態から来る危機であつた。

    黒船来舶によつて、泰平の夢が破られてから十数年。政治の混乱と、治安秩序の紊乱が続いて、不安不景気の世の中をかこつても、西陣の機場に、将校の音が絶える程の事はなかつた。綾、鈴、金欄、殺子の製織は、日々続けられ、其襲産数量は、縦屋四、九〇〇○戸から年間約壱百万点以上に達して居た。之れが不景気で、売れぬと云つて仕事を手控えしても、日々相当数量の製品が溜る。殊に当時の西陣織屋の大部分は、製品が捌けぬとなると、忽ち其日の生活にも困る者が出来る。所が此時の不景気は政治革命による、需要層の崩壊と同時に起った、 服装の大転化によるものであるから、一時を忍ぶ如き甘いものでない、深刻さがあつた。

    西陣織物の需要層は、往古から庶民階級ではなかったことは申迄も無い。慶応四年迄と調えると思うが、上は徳川将軍家から旗本八万騎。加州金沢前田侯百二万二千石の国守大名から、小禄一万石の小名に至る迄。二百六十の列藩、其れに従う家中侍。別しては禁裏と朝臣百三十五公卿と云つた堂上衆が、御得意様であつた。其人々の必需品である直衣、狩衣、直垂、素襖、大紋、肩衣、待等悉く不必要となり。又其等御得意様の経済状態が、 是迄の如く、大まかでは居られなくなつた。尚又廃仏棄却の思潮によつて、僧衣荘厳用裂地の需用が途絶したか ら、従来の用途の製品の捌口が消滅したのである。従而て売れない物を仕入れる仲買商も無く、買えと云うのも無理な訳である。

    西陣の織屋で仲買と二足わらじを履く程の資力ある者は格別であるが、縦屋(よしや)専業である限り、御寮織物司であろうと、大舎人座の筋目であろうと、家の土蔵に千両千貫貯え寝かせている程の者は、一人も無いのが特色と云われ、大織屋は三代持たぬと云われる諺があるのも、此様な懐状態から生ずる、悪循環がある故に、窮迫するとなると急速度に困まつて来る。製品を抱え切れねば、倒産するより他はないのである。

    此状態に於ては、当然滞貨品の投売りする者が生じ、生産地全般に値崩れさす不徳義者も生じるのが、西陣織屋の悪癖であるが、此時は製品の用途が、全然無くなつたものがあつて、投売も相手にならぬ、丸損の心配もあつた。とは云え、滞貨の中には売れる物もあり、必需品も沢山あつたが、織屋の脚下を見る、仲買商人の遅ましい商魂は、益強気で仕入れを控え、或は値をたたくから、取引の改善も、痛切に叫ばれる訳ともなつた。

  • 効率化の要諦

    効率化の要諦

    現代は効率を求められる時代だ。昨今よく言われる「コスパ」なる言葉も、費用に対する効用を指す言葉で、結局は効率を指す言葉だし、生産性も効率の言い換えと言ってもよい。

    ではその効率を高める方法は?人それぞれ考え方があろうが、根本的に考えてみれば、その方法は2通りしかない。各工程の作業時間を短縮するか、工数を削るか──だ。

    本ブログで言いたいことは、この因数分解で8割がた言い切っていると言ってもいいのだが。では具体的にどうすれば作業時間を短縮できるのか、工数を削れるのかが、実務上大切な問題でもある。読者諸兄にもそれぞれ方法論があると思うが、本ブログでは私の効率化論を述べさせていただく。ここでは主に資料作成をイメージしているが、割と一般的な話なので、広く応用できると思う。

    機械も、よく考えてみれば効率化の産物である

    (前提)工数を削るのは難易度が高い

    先に述べた通り、効率化には作業時間を短縮するか、工数を削るかの2つしかアプローチがない。そして効率化といったとき、最初に挙げられるのは後者のケースが多いが、実はこれ、かなり難易度が高いことに留意する必要がある。

    規模が大きければ大きいほど合意を取る必要性が増してくるし、メリットとデメリットを正確に評価する必要が出てくる。過去にその作業が生まれたのにも理由があるから、当然、その作業がなければデメリットも出てくるわけである。

    だから工数を削るには、作業の意味を考える必要があるし、作業がこれまでカバーしていたデメリットが、すでに技術の進歩や体制の違いなど、他の要因でカバーされている必要がある。こうしたデメリットのカバーを行わないまま、さらに合意も得ないまま、勝手に工数を削れば、後々トラブルになってしまう。

    つまり工数を削るには、交渉力や政治力、観察力や分析力が必要になるわけなので、現場レベルでは、まずは作業時間の短縮を最初のアプローチとして選ぶべきだ。では具体的にどうするか。

    順番を考える

    作業にもいろいろな性質がある。こちらで1から10まで完結する作業でなければ、原理上必ず待機時間が発生する。もちろん、待機時間が発生する作業は、できるだけ早くやっておいた方がよい。その時間で他の作業ができるからだ。

    順番を考えるとき、それぞれの作業で共通部分がないか見るのも重要だ。調べ物もその一つで、前提知識があるだけで、「何を」「どう」「どのアプローチで」調べるか、アタリをつけやすくなる。

    手戻りを減らす

    順番を考える場合、手戻りをいかに減らすかも大事な論点だ。手戻りが生まれると、当該箇所すべてを修正しなおさないといけない。手戻りが生まれる可能性がある作業(資料)については、たたき台のレベルで作っておいて、本決定したら修正するのがいいだろう。手戻りが生まれないよう、関係各所とあらかじめ調整しておくのも、ある意味テクニカルではあるが、非常に大切だ。手戻りは上席の誰かの意見で生まれるのが常である。

    なお、手戻りが生まれた場合に備えて、影響箇所を狭くしておく試みとして「モジュール化」がある。これは作業や情報を細分化し、あらかじめ一つのまとまりとして成立させておくことで、その目的を明確化するとともに、専門性を高める効果のあるやり方だ。定期的に研いでおく必要はあるが、急ぎの時にパッと質の高いアウトプットを出せるメリットは、事務職が持っておく一芸として十分有用だ。例えば前述の資料作成なら、あらかじめフォーマットを作っておいて、何を入れても見た目がよくなるようにしておくとよい。

    このモジュール化の取り組みは、共通部分をあらかじめ作っておく観点でもかなり使い勝手が良い。似た作業があれば、そのモジュールを使って、共通の規格で、共通の情報を使って行うべきだ。これは次に述べる、思考コストの節約にもつながる。

    モジュール化の図(西進商事のhpより)

    思考コストを下げる

    効率化で一番の敵は何か?余計なことを考えることだ。判断している時間が一番無駄で、一回決めたら事情がない限り変えない方が良い。

    これは共通の規格を最初にバチっと決めておくことで実現できる。余計に変えないことでこちらは作業効率が上がり、成果物の受け手からしても、ノイズが排除され、内容が頭に入ってきやすくなる。

    いわゆるマニュアル化も、この延長線上にある。よくマニュアルの意味を考えろと言われるが、これは作業中にautomaticalにやるべきことであって、作業中にいちいち考えてたら、一生作業が終わらない。これは最後の宿題としてメモしておいて、最後、余裕のある時に変更を加えればよい。

    ちなみに、同じ道を通っているはずなのに、初めて行く場所と何度か行った場所で所要時間が全然違うと感じた経験がある人は多いと思う。これは「目的地を探す」思考のコストが削られた分の違いだ。右に行くか左に行くかをいちいち迷ったりしない分、スッと目的に向かえるのである。

    規則に従うのも、思考の節約手法としては悪くない

    緊急性の高い仕事からやる

    最後に。言うまでもないが、緊急性の高い仕事からやるのは基本である。ただしここで大切なのは、多少遅れても気づかれないような作業は、いったん後回しにしてもよいことだ。たとえば何かの発送とか、何かの起案とか。他人──特に他の業者が介在する仕事は、1日くらい後回しにしても、先方はそれが僕のせいなのか、他の業者のせいなのかわからない。不確定要素の多い仕事は遅れたときの合意が得やすい。前にブログで書いたように合意が得られるかどうかは、常に判断基準として重要だ。

    ただ、もちろん、あんまり遅らせるのは迷惑だから、他の緊急性の高い仕事が片付いたら、さっさと着手して終わらせなければならない。信頼を失わないよう、誠実に立ち回ろう。

    おわりに

    効率化の根本は「作業時間を短縮する」「工数を削る」の2択なのは、すでに述べた。ここで述べたのが手法のすべてでは決してないが、この作業は削れるか、削れるとしたらデメリットはどうか、説得できるか、あるいは作業時間を短縮できるか……の思考は、作業前に当然巡らせておくべきである。同じ作業でも、やる人によってかかる時間が倍違う場合もある。

    私が以前読んで、今でも気に入っている本に「完全無欠の問題解決」がある。問題解決を「問題を定義する」「問題を分解する」「優先順位付けをする」「作業計画を立てる」「分析をする」「分析結果を統合する」「ストーリーで語る」の7要素に分解し、それぞれのやり方を解説するもので、大いに参考になった。なかなか面白い本だったので、気になった方は読んでみるとよいだろう。

  • きものはいいぞ!

    きものはいいぞ!

    きものを着ている人はかなり少ない。一部に和装愛好家がいるものの、きものを日常生活で着るのはかなりハードルが高いし、そもそも現代社会は洋装を基準に作られているから、生活様式としてなじまないのは当然である。

    ではきものは不要かといえば、そうでもない。型が大きく違う分、服装としても性質が変わってくるのだ。洋装と比べて和装は何がいいのか?あまり取り立てて説明されてこなかったこの疑問について、今回は答えていこう。

    体のシルエットが目立たない

    全てとは言わないが、洋装には体のシルエットを活用したものが多い。洋服が入ってきたときに「ぴっちりした服装が欧州式個人主義の象徴だった」などと評されていた本を読んだことがあるが(どこに書いてあったかは忘れた)、これは依然として大きな違いとして、和装と洋装の間に横たわっている。洋装のこの特徴については、オフショルや、胸元の下が開いている服を想像していただけるとわかりやすい。

    洋装には体のラインを強調するものもある

    一方で、あまり体を出したくない人もいる。和装はそんな人に合っている。きものは基本的に、人によって特殊な仕立てをしない。作るものによってさまざまな形のパーツを作り、立体的に仕上げる洋裁と異なり、和裁は長方形のパーツを組み合わせる。仕立てからして平面的だから、体のシルエットが出づらいのである。この仕立ての特徴が、最終的に余りを小物にしたり小道具にしたり、リメイクがしやすい利点にもなる。

    大和撫子は和装が似合う……との謂いを聞いたことがある人もいると思うが、これは和装の場合、上記の理由で、自己主張が激しくならないことに起因する。と思う体のラインを強調した派手な服装は、和装では難しいのである。

    和装は体のラインが目立たないhttps://kitsuke-hikaku.site/research1/https://kitsuke-hikaku.site/research1/から引用)

    柄自体の表現力が高い

    「外見は内面の一番外側」との言葉がある。実際、ファッションは自己表現の手段として使われている。和装では派手な服装が難しい、ならば派手な表現も無理か?といえば否だ。布の面積が大きい分、柄の表現力が高いのが和装の強みといってよい。

    洋装の場合、使える面積がそもそも少ないから、この部分では和装に大きな分がある。芸者さんや、普通の人が晴れ着で着る振袖も、袖の面積が広い分、訪問着と比べて表現力に差が出ている。付言すると、きものにはすでに固定化されたイメージがあるから、洋装では絶対に使えないような柄でも使いやすい事情もある。

    柄の表現力には、単に絵画的な表現の延長として理解してもいいが、柄にはそれぞれ文化的な背景があり、さらに着用者それぞれが付与する特殊な意味合いも乗ることに留意すべきだ。キャンバスの広さから生まれる柄の表現力が、センスに裏打ちされて、トータル・コーディネート的なストーリー描写力を生む土壌となっている。

    友禅のきものはその圧倒的な表現力で著名(https://www.studio-alice.co.jp/seijin/furiho/furiho_times/hurisode/kimono-yuzen/より引用)

    文化資本のアピールになる

    きもののメリットといって、まず思いつくのがこれかもしれない。まずきものは相場からして価格が高いから、当然、ある程度上流でないと買えないと考えられている。実際は買うか買わないかの違いでしかないと思うが、世間的な認識としてはそうだ。

    無地が普通で型も決まっていて、表現の場といえばネクタイやスカーフくらいな洋装と違って、和装は柄があるのが普通といってよい。それに多品種少量生産が普通だから、あまり奇抜な柄でない限り、そして式典のようなドレスコードが決まっている場所でない限り、フォーマルシーンでの遊びの幅が広い。

    だからこそ文化資本のアピールになるのである。過去に「センスのいいものに囲まれよう」で紹介した通り、センスの良さとは「自分の置かれている立場を表し」「ストーリーの中に組み込む」ことであって、柄はストーリーを表す最もわかりやすいツールになる。とはいえ、どのような柄がどのように理解されていて、それを踏まえてどのような意味合いを持たせるかについては、完全にセンスの問題である。完全に知的遊戯の域に入っており、万人向けとは言えない。だからこそ文化資本の証明になるのであるが。(「この柄のきものはこの場面で着られる」といった、販売現場での着装の指導は、この部分を自分で判断できない人に向けたサービスと言ってもいい。完全にバカ向けの商売である)

    組み合わせにセンスが出る

    きものというキャンバスでの表現は、独りきものだけで完結するものではない。帯と周りの小物(衿や紐、帯揚げなど)とも組み合わせて、総合的に作り上げるものだ。特に帯は着装の要であって、帯ときものの組み合わせがセンスを表現すると言ってもよい。

    着装のセンスは奥が深い。先に述べたような、状況やストーリーに合わせた柄を選んで特別な意味合いを持たせるのは、最もわかりやすい例だ。それ以外にも、綴れ織、絽や紗などの捩り織(御簾などに使われる、いわゆるスケスケの組織だ)、天鵞絨(ビロード)織といった織法による区別があり、正絹や麻、そのほか混紡糸や紬糸(つむぎいと)、御召緯(おめしぬき)、金銀糸、真珠箔などの素材の違いがあり、手描き友禅や型友禅、鹿の子絞り、草木染といった染織技法による違いもある。言ってみれば千差万別であり、それぞれ固有の特徴や演出効果がある。これに柄の違いが加わり、もちろん実用上の違いもある。

    捩り織を織っているところ。西陣織工業組合ホームページ「西陣織屋紹介 泰生織物」より

    組み合わせはまさしく無限大であって、したがって表現の幅も無限大なのだ。さらに最初に述べたように、和装は体のシルエットがあまり目立たず、つまり個人差が出づらい。ともすれば、人によって似あうコーディネートが固定化されがちな洋装と違って、和装のコーディネートは多くの人に開かれている。まさにファッションの楽園なのである。

    フォーマル着として使える

    これは実用上の理由としてよく言われるものでもある。ただファッションが楽しいと話すだけでは、買う理由として薄いと考える人もいるだろう。もちろん単に娯楽用途だけではない。

    きものはフォーマル着として広く使われていることで知られる。海外ではきものはフォーマル着で通用すると聞くし、マナー違反にならないから気楽でいいとの声もある。女性はあまりスーツが似合わない傾向にあるように思うから、女性の場合はきものでの出席の方が見栄えもして良いだろう。もちろん男でも見栄えはするのだが、そもそもきものを持っている男が少なく、スーツでの出席がほとんどである問題がある。これは呉服業界の課題の一つだ。

    (宣伝)西陣織会館でファミリーセールやるから来てね

    さて西陣織会館で今度、ファミリーセールが開催される。一応招待制をとっているので、来る人は招待券をお持ちいただきたい。招待券は西陣織工業組合ホームページ内のこのページから申し込める。

    手前味噌にはなるが、ファミリーセールでメーカー直販のイベントだから、他と比べてかなり安くなっている。一般小売価格の3割引き位のものも珍しくないほどで、もちろん品質は西陣だ。きものデビューに最適なイベントだと自負しているから、ぜひ来てくれると嬉しい。(著者も会場にいます)

  • 西陣織の来歴(西陣織物館記を読む)

    西陣織の来歴(西陣織物館記を読む)

    はじめに

    2年半前に「西陣555年記念事業」が行われたように、西陣には長い歴史があるが、そのうち過去を詳述した資料はまれである。

    織物の歴史はどこでも古い。衣食住の「衣」を司っている以上、編み物や不織布(フェルト)と比べて圧倒的に単純な織物の自足が促されるのは当然だ。西陣しかり、博多しかり、桐生しかり、八王子しかり、織物産地はどこでも上古からの歴史を主張できるのだ。

    今出川大宮東入の西陣織物館前、現京都市考古資料館前の西陣碑

    中でも西陣は官機の流れをくむ。官機とは官営の織物工場のことで、律令制の時代は大蔵省の織部司と称する専門工場があったのである。やがて律令制は崩壊し、貴族が直接、織手を抱えるようになった。室町時代には「大宮の絹」「大舎人の綾」と呼ばれるブランド産品が製造されていたらしい。

    応仁の乱に由来する「西陣」発生以前に、こうした一見由緒正しい歴史があるにもかかわらず、西陣が555周年などと控えめな数字を主張するのはなぜか。丁度いい明確な区切りが他にないこともあるが、応仁の乱で、技術に断絶が生まれているからである。今の西陣の技術の系譜をたどるとすれば、応仁の乱以降は直系だが、それ以前はいわば血のつながりはなくて、養子に入ったようなものだ。

    そして今の西陣の高度な技術は、江戸時代に培われたものだ。元禄時代、消費生活の奢侈化と衣料需要の増加に牽引されて、日本は未曽有の好景気に沸き、町人を中心とする元禄文化のもと、産地である西陣と販売を手掛ける室町はこの世の春を謳歌した。今でも西陣の全盛期は元禄時代と言われている。ここから西陣はまた浮沈交代を繰り返し、明治時代に至る。

    江戸時代、三井越後屋の売り場。「現金掛値なし」「店売り」が特徴。三井グループの源流

    さて、ざっと江戸時代までの西陣の歴史を追ったが、この後、明治時代以降の西陣の過去を知るのに、使える資料は多くない。そのうち最も読みやすく、読みごたえがあるのが「西陣織物館記」だ。西陣組合の先輩である前田達三氏が著したもので、今、西陣が明治時代の組合史を辿れるのは、この本のおかげである。

    せっかくなので公開する。前提知識が要るから、所々で僕の補足も入れることにする。なお著作権は切れているので、安心してほしい

    序日

    本記は西陣織物館の履歴書であり、生立ちの記である。夫れが、其の母体である、西陣織物産業人の組合団体を管理する人物の、器量の大小、才能の深浅、誠実心の厚薄、エゴイズムの強弱と、ほんのちょっぴりの仁侠心の存否が、組合の成敗浮沈を決し。引いて此の織物館の隆替興廃を醸成せしめた明治元年以降九十年の歴程を記述したものである。乍然、本記は小説でもなけれ ば、物語り伝説でもない。唯事務上の書類の内容を、綴合せたに過ぎないようなものであって。 謂おうなら、事実調査書であり、事件の陳述書であり又証拠書類でもある。

    本記を年代により三編に別け、財産目録を附録とした。

    第一編は、明治元年から、明治二十六年迄に、幾度も西陣織屋の本山が、建立しかかっては出来ず。建立せられたと思ったら、忽ち消失してしまった陣痛時代※1が過ぎて。明治二十七年、同二十八年の組合主悩者達が傑物揃いで、一般に信望があり、卒先範を示したから。西陣織屋一人残らず、最低十銭から、最高百円に至る迄快く寄附金を拠出して、黒門通元誓願寺角に、組合事務所(会館)を建設した迄の事績※2を記述し。其後は明治三十年迄の運営状況を略記した。

    • ※1 明治時代、「西陣物産会社」「西陣織物会所」「西陣織物業組合」といった組合組織のようなものができたが、いずれも長続きせず、消滅した。
    • ※2 この時代にできた「西陣織物製造業組合」のとき、黒門通元誓願寺東入に西陣織物館の前身ができた。(ちなみに今の組合の丸西マークは、この頃すでにあったらしい)
    西陣の組合が代々受け継いできて、現在は西陣織工業組合のマーク。明治28年にはすでにあったようだから、130年以上の歴史がある

    第二編は、明治三十一年以後、昭和十三年迄の西陣織物館全盛時の要項を、摘記したものである。

    其間大正四年七月、現存西陣織物館が建設せられる際は、組長及役員に俊英があり、姉なる事務長を抱えながら、西陣織物業界に多数の反対者があつた。※3其内文書に、会合に反対を唱えたのが、当時の西陣織屋の学歴─大部分中等学校程度ではあるが─のある者であつたから。昔から雷同性のある西陣の事とて、全般的に悪影響を与え。建築設計が萎縮して、ギャラリー程度のものとなり、芸術味が欠けてしまった。其れでさえ宏壮大廈無用の長物だと罵しつた。眼孔狭短見浅慮、が今に災を残して居る。其れにも拘わらず、西陣織物館が京都新名所として有名になったのは。之れが運営に人物を得て、熱意と誠実により、着々効果を上げたからである事を大略記述した。又昭和十年には附属事務所の改築を断行した。此度は賛成者のみで、一人の反対者も無かった代りに。其費用は組合剰余金等を以て賄い、一切経費の増徴をしない、条件を以てしたから。寄附金の募集も行わなかった。建築設計及規模に関して議論百出。其為組合組長の原案と全々異るものとなり。頗る使用効率の悪い建物が出来てしまった。去りながら鉄筋コンクリート三階建は、其れなりに、爾後の組合事業に大きな効果を与えたことを記し。西陣織物同業組合解散に至る迄を以て本編を結んだ。

    • ※3 「現存西陣織物館」とは、いま京都市考古資料館として活用されている、今出川通大宮東入にある建物。大正4年竣工。

    第三編は。昭和十三年西陣織物工業組合設立から統制経済の概略。及び戦時転廃業の様相、西陣織物産地の荒廃、続いて敗戦被占領下の類落による、西陣織物館の危機と、之が保全に対する編者の施策、及昭和二十五年西陣織物工業協同組合解散前後の様相を、若干記述して擱筆した。

    編者が、長谷川西陣織物工業組合理事長数度の懇請により、同組合に就任したのが、此第三編起筆の昭和十三年七月である。編者前職の関係から、西陣の風紀はよく知つて居ても。其他の産業機構に付ては素人であるから。先ず「西陣研究」を読み。次で、「西陣史」と「織物常識」を昼夜通しての試験勉強。次に「西陣天狗筆記」と「西陣誌」の合本を精読した。最少限度之れだけの物の梗概を頭に入れて置かねば、諸官庁其他系統機関の諸会合に出席しても、口が利けないから、否応なしの勉強であつた。其上物価統制に基く公定価格の設定による、格付見本として、各級物業者が原価計算と共に提出した、全西陣織物の品種銘柄は、実物教育となつて。現時西陣織物の智織を、最大限にまでに、豊富ならしめると共に。西陣織物業者誰彼無しに逢うて、嫌でも其性格を知らねばならなかったが故に、織物業者も企及し得ざる普偏的な、西陣の土の匂いを身に付ける事が出来た。

    折も折、昭和十三年九月に、同工業組合理事会が、西陣織物館其他の財産を以て、公益財団法人設立の決議を為した際、列席して、織物館建設者達の真意を明確に把握することを得た。

    又、西陣織屋は昔から、時代と共に新陳代謝する。早よう謂えば、西陣の大機屋は三代と続かないとの諺がある。諸行無常は、あえて西陣織屋のみではない、他の産地も同様である。然るに、前線の負け戦さを挽回せんとする国策とやらで、西陣織屋は新陳共に軍工場に強制転業を命ぜられ。西陣地域杼校の音も、絶えだえとなつてしまった。誠に心細い事限りなかったが。織屋は亡びても、産地は亡びない。西陣織物産業は軈(やが)て復活し。往年の隆盛を見る時期の来ることを、確信した。そうなっても、西陣産地は中小企業工業者の集合地である事だけは、絶対に変らないから。是れが拠点、西陣織物館を失っては、早期復興は至難である。仮令(たとい)権道を用いても、 保全を計らねばならないと考え、之を実行したのであつた。

    一敗地に塗れて、山河国民総て虜囚となった。昔人は、「古来征食幾人か回る」と詠じたが、 西陣は終戦と共に旧業者がどつと帰来したり、新規の開業者で。一挙に戦前の倍数に昇る織物業者で溢れた。嬉ばしき現象ではあるが其処に数々のトラブルが発生した事を、本編に記述してある。

    昭和二十五年十一月十一日京都市会議長に、西陣織物館開館助成の請願をし、翌年二月十三日京都市会で之を採択し。高山京都市長からは、京都市の観光施設として同館の再開を希望し、経済局、観光局と協議の上実地踏査をして助成する旨の誠に好意ある通達を受けた。其以前三月二日、大林組から織物館全館の改装工事仕様書と同工事費見積額金三百六十六万六千七百三十円を提出し。万端の手筈良好に運び、経費調達方途も万全の策を施したに拘わらず。主脳者の頭の切り替えが出来ず、訳の判らぬ現象が生ずると共に。果ては法人格も無い同業会に、事務所と什器を占拠せしめ※4、清算を阻害し。明治初年からの西陣織物組合功労者、組長、理事長の肖像額全部を会議室鴨居から、引降し、之を破壊するの暴挙を為すに至らしめた。言語道断の不埒とは云え、西陣織物工業協同組合清算と織物館資産との微妙な関係から、事を荒立てるの不利を思うて、静観するより外はなかった。

    • ※4 今の西陣織工業組合の前身の一つ「西陣織物同業会」は、当初西陣織物館を事務所や展示等で使用したが、旧組合(西陣織物工業協同組合)理事等との意思疎通が十分でなかったため、大きな騒動を引き起こした。これについては過去ブログで少し言及がある。

    昭和三十二年六月に至り、西陣織物館及附属建物並諸財産に対する法律上の障害が除かれ。是等を建設した、功労者先輩の遺志を、達成し得るの時期に到達したことを認め、本記を編集するに至ったものである。

    編纂の当初の目次計画は、西陣織物館其他の資産中。特に織物参考品、古文書等は、詳細なる説明と、寄贈者の名及蒐集記録を掲げて、第四編とする積りであつたが、其れでは本記が浩瀚になり過ぎるので。昭和二十六年十一月一日既成の目録を其儘に、附録として掲げるに留めた。実は本記編纂の目的は此附録財産の保全にあつて前三編は其説明に過ぎないものである。 之等所蔵品の中には、天保以来の西陣織物史上、金銭に更え難い貴重な古文書がある。戦時被爆により編者が斃れたら、仮令焼夷を逸れても。一括の反故紙として廃棄せられることを憂いたが、幸に共に今日あるを得た。

    以上を本記編纂の序日とし。尚編纂の経緯若干を凡例に於て補述することにした。

    昭和三十四年十月二十五日

    於西陣織物館

    編者述

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  • 文章は短ければ短いほど良い(駄文を避けるには)

    文章は短ければ短いほど良い(駄文を避けるには)

    僕は仕事柄よく文章を書くが、何かしらの申請文書とか、メールとか、通知文とか、機関紙の記事などの面白みのないものばかりだ。しかし、他人の文章を直す機会は少なくない。古くは家族の文化祭の出し物──何かしらの演劇だったと思うが、その台本に手を入れる依頼を受けたこともある。そしてしばしば文章をお褒めいただける。

    文化祭の写真。https://www.azabu-jh.ed.jp/schoollife/schedule/festival/より引用

    とはいえ、やっているのは全く大したことではない。その場面での言葉の使い方が適切か見るのと、いくつかのルールに従ってリライトしているだけだ。このルールの紹介は、手っ取り早く駄文を回避するには役に立つ。せっかくなのでお読みいただきたい。

    1.「ということ」は省く

    いらない言葉ランキングNo.1だ。5文字も使っているのに何も内容がない奇跡の言葉である。「こと」を除いた「という」が最もいらないので、ここが本質かもしれない。

    例を挙げると、「私は図書館の運営という仕事をしている。公務員ということである。」なる文章があったとする。最初の「という」は当然いらない。「私は図書館運営の仕事をしている。」でいい。「公務員ということである。」の「ということ」も不要だ。結局、「私は図書館運営の仕事をしている。公務員である」でよい。文章の情報を一つも落としていないのに、なんとなく洗練された感じがする。

    2.指示語は最小限に

    多用すると拙くなる。指示語は結局、前か後に出てくる言葉を承けて代用する道具である。指示語が1文に2回も3回も出てくるようなら、指示対象をちゃんと明記してあげた方が、読み手にとっても親切だ。指示語の部分をそもそも書かなくていい場合もある。句ごといらないかもしれない。削れるだけ削るべきだ。

    3.敬体と常体の混用は言語道断

    一発アウトの案件で、こんな暴挙に出る人が一人や二人ではないのが驚きだ。もはや説明不要だが、敬体/常体は文章のスタイルを決定する要素で、これの混用は、丁寧語で話していた人が突然ギャル語で喋り出すのと似ている。それはそれで面白いが

    ギャル語。https://iflyer.tv/article/2019/12/04/gal-trend-word-award-2019/より引用

    4.接続詞の多用は避ける

    文意の隔たりがそれほど大きくない場合──単純な順接とかの場合は、抜いても差し支えないだろう。実際に抜くかは、文章の力点がどこにあるかにもよる。

    「私は図書館運営の仕事をしている。だから、図書館の本なら何でも知っている」「私は図書館運営の仕事をしている。図書館の本なら何でも知っている」なる文章を仮定してみると、「だから」は要らないと感じるだろう。接続詞は抜いたほうが、読んだ際に余韻が生まれて、むしろ文章の格が上がる。読みづらくならない程度に手加減する必要はあるが。

    5.語の置く場所は係る語句の近くに

    語の置く場所も大切だ。ふつう文章を読むとき、文構造が確定するまで、語を頭に一時的に記憶して読む。記憶すべき分量が増えるほど、読みづらくなると言っていい。
    主語を動詞の直前に移動させる手法はよくやるから、覚えておいていいと思う。特に長々と意見を述べるときは、最後の方に主語を置くくらいでちょうどいいだろう。

    好立地からの景色。何事も適切な場所がある

    6.漢字が連続する場合はどちらかを開く

    読みやすさを考慮したらこれも大切な心掛けだと思う。たまにいちいち漢字を多用する人が居るが、読みづらい上に普通に馬鹿そうだからやめた方がいい。漢字を知っているだけで賢そうなのは小学生までだ

    ただし、やたらと開くのも僕は好きでない。いい塩梅を探して、適当に漢字を使うのが大切だ。動詞句、名詞句、副詞句などと、句ごとに境界があるけれども、その間の漢字や仮名は別種のものにすべきだ。こうすれば文章全体のゲシュタルトが保てる。

    7.、・「」()/n(改行)等を使ってリズムを整える

    読む側の目線に立てば、適当なところで読点なり句点なりが打ってあって欲しいものだ。しかしリズム上、読点も句点も、まだ打つには早い場合がある。

    この時に使えるのがカギ括弧だ。硬派な文章はどうしても長くなりがちだが、重要な名詞をカギ括弧で囲っておけば、そこで息継ぎができるし、文章にメリハリがつく。場合によって括弧でもよい。

    特に関係ない高機の写真。織機もリズムを刻んでいる

    おわりに

    内容のない単語は削除した方がよい。「個人的には」とか、「非常に」とか、なくても全く差し支えない場合は消そう。なくても前提として共有されているならば、わざわざ書く必要もなく、むしろ書いたら藪蛇だ。

    概して脳内に浮かぶ言葉をそのまま出力すると、駄文になりがちだ。文章は短ければ短いほどいいので、特に意味のなさそうな文章は思い切って丸々削除するべきだ。

    「文は人なり」なる言葉がある。さすがに言い過ぎの感はあるが、少なくとも、「思考が明晰な人は明晰な文章を書く」くらいは言っていいと思う。「ということ」とか指示語、無意味な句を多用する人は、思考が整理されていないのだ。自分で書いていて耳が痛いが、初校はそんなもんだと割り切っている

    タイトルの通り、文章は短ければ短いほどいい。だが、いちいち文章を切って短文にして、超短文を10も20も並べるのが良いとも思えない。意味のない言葉を徹底的に削除しつつ、より短い表現があればそっちに差し替えるのが、手段として本道だろう。リズムも考慮して、ちょうどいい長さの文章を並べるのがベストだ。

    文は人なり。「ふみはひとなり」だと思ってましたhttps://imidas.jp/proverb/detail/X-02-C-28-A-0006.htmlより引用