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投稿者: 田中一郎

  • 目的の決め方

    目的の決め方

    「人間が想像できることはすべて実現可能」とジュール・ヴェルヌは喝破しましたが、その逆もしかり、想像できないことは十中八九失敗します。

    成功の道筋が見えていなければ、効果的な打ち手が思いつくはずも、肚を決めて実行に移れるはずもありません。では目的を設定するにあたり大切なことは何か。本稿ではこれについて書いていきますので、参考になると嬉しいです。

    目的は絶対に必要

    目的を決めずに始めたことはほぼ確実に失敗します。勝利条件がないからです。負けなければおのずと勝ちとなる……と説いたのは個人投資家で著名なテスタ氏ですが、「勝たなければおのずと負けとなる」のもまた然りです。

    特に、目的を経済効果に紐づけると、打ち手が明確になります。経済効果に紐づいていない目的の設定は、無限に赤字を垂れ流す羽目になり、持続可能性に乏しくなります。続けていくためにも、目的は絶対に必要です。

    日立製作所は、「儲かる会社にする」との明確な目標のもと、構造改革を成功させた

    目的の立て方

    さて、目的の必要性はわかっていただけたと思います。では目的を設定するとして、どう設定するか。

    目的とは理想の具体化である

    自分がどうなりたいか。あるいは周りをどうしたいか──ここが最初の出発点です。

    人の欲は際限がないので、どうなれば自分は満足するのか考えなければ、欲に身を滅ぼされることになるし、自分の幸福追求から遠回りすることになります。

    「自分が幸せでないのは、家庭環境が悪かったからだ」と言う人がいたとします。事実だったとしても、今更変えようがない以上、縁を切るくらいしか打ち手がありません。しかし、縁を切ったら自分は満足なのか?その先に本当に未来が待っていて、自分の幸福追求に寄与するのか?
    この部分を考えなければ、後で後悔することになるかもしれません。今回は家庭環境の話ですが、選択には可逆なものと不可逆なものがあります。不可逆な選択については、あくまで自分の理想の実現を目的に置いて、慎重に判断すべきです。

    中国の思想家の老子は「足るを知る」ことを説いたが、「足るを考える」のも大切だ

    SMARTな問題設定

    問題設定の枠組みで有名な略語があります。具体的で(Specific)、測定可能で(Measurable)、実行可能で(Actionable)、関連性があり(Relevant)、時間枠が設定されている(Time frame)──の頭文字をとって、「SMART」ですが、問題設定と目的の設定はほとんど同じです。(問題を定義した時点で解決が目的になるのですから、当たり前です)

    このSMARTに反している場合がしばしば見受けられます。会議で議論が発散する場合、基本的にこれらのどれか、しばしばすべてが欠けています。
    なお、関連性がある(Relevant)とは、個別最適化的な課題解決でなく、組織全体として課題解決の好影響が出るように設計することを指します。この文言によって、Specificを意識するあまり視野が狭くなるケースを防止しています。

    現場感覚がある人の会議は実りあるものになることが多い

    比較の問題

    事を進めていくと、必ずどこかで選択を迫られる場合があります。Aを取ればBが取れない、両取りが理想なのはもちろんですが、理論上不可能な場合もあります。(その問題はしばしば、体が一つしかないことに起因します)

    比較で最も大切なのは、属性で分割することです。計算機科学の分野には「オブジェクト」なる概念がありますが、これはあるものの持つ特性をすべて抽象化して、抽象化した結果、残ったものをそのものと定義する試みです。この考え方は実生活でも大いに活用できます。

    たとえば商品Aを買うか、商品Bを買うかで迷っているとします。商品Aは10,000円で、見た目がよく、ブランド価値があり、再販してもそこそこの値段で売れるが、実用性がない。商品Bは8,000円で、見た目は商品Aにやや劣り、ブランド価値もあまりないが、口コミで実用性が十分と聞いています。
    この場合、見た目やブランド価値を重視するなら商品A、実用性を重視するなら商品Bでしょう。使う年数や値段、それぞれの再販価値を踏まえてそろばんを弾き、より出費が少なく済む方を選ぶ人もいるかもしれません。

    目的に即して、さらに先ほど設定したSMARTも踏まえつつ、最善のものを選択するのが大切です。(不確定要素も多いから、結局それが難しいのだが)

    比較は一見して難しいが、対立点を明確にすれば容易になる

    なんとなく不満な時

    さて、成果物を見て、なんとなくしっくりこない場合もあります。

    この場合、やることは二つです。まず、何が自分の気に入らないのかを考える。

    商品を買う場合を想像してみましょう。色が気に入らないのか、形が気に入らないのか、値段が気に入らないのか、接客が気に入らないのか……。この辺りを勘案したうえで、買うべきと思うなら買うべきだし、そうでないなら買わなければいいのです。
    議論でもそうで、具体性に欠けるのが気に入らないのか、儲からなさそうなのが気に入らないのか、そもそも商売のやり方が気に入らないのか。賛成できないなら反対すればよいです。反対意見の人が多ければ通らないのが、民主主義ですから。

    もう一つは、今のものが条件として最高か、一度考えてみることです。最高の条件──妥協できるポイントは最大限妥協しており、必要なポイントは完全に満たされている条件──が今の条件だと考えられるのであれば、自分のしっくり来ていない感覚は、気のせいです。肚を決めて決断すべきです。

    完璧な作品と評されることさえある「モナ・リザ」も、現在の評価を得るまでに時間がかかっている

    合意形成

    過去に合意形成について持論を述べましたが目的の設定こそ、合意形成が最も大切なフェーズです。人が多くなればなるほど合意形成が難しくなりますから、多くの民主的組織は、しばしば当たり障りのない計画を立て、漫然と進め、何とも言えない成果物を生成して、なんとなく終わります。

    合意形成のコストや、ステークホルダーに腰を据えさせて物事を進めるコストを考えると、こうなるのはある意味自然の摂理です。少人数の中小企業やトップダウン型組織が強いのはここで、合意形成のコストがかからない分、機動的に決断できます。

    ある人は言います。「明確に定義された問題は、すでに半分解決している(A problem well stated is a problem half solved)」。そして明確に問題を定義するにあたり、合意形成はアルファでありオメガです。

    合意形成のためにも、普段からいろんな人とコミュニケーションを取って、個々人の意見と目指すところを把握しつつ、全体の最善を追求する。これが優れた問題解決者の条件です。

    人と人とのつながりは大切だ

  • 前田達三氏(西陣織物館記著者)とは何者か

    前田達三氏(西陣織物館記著者)とは何者か

    西陣織物館記を本ブログでは何度か紹介させていただいていますが、すでに掲載している部分に、少し気になる部分がありました。

    編者が、長谷川西陣織物工業組合理事長数度の懇請により、同組合に就任したのが、此第三編起筆の昭和十三年七月である。編者前職の関係から、西陣の風紀はよく知つて居ても。其他の産業機構に付ては素人であるから。先ず「西陣研究」を読み。次で、「西陣史」と「織物常識」を昼夜通しての試験勉強。次に「西陣天狗筆記」と「西陣誌」の合本を精読した。

    筆者前職の関係から、西陣の風紀についてはよく知っているといいます。また別のページには、このような記述があります。

    長谷川組長が編者を西陣の組合へ就職するよう、再三勧めに来宅せられたので、編者は、此事を旧知の西陣通の新聞記者、川端堪然に話した処、「長谷市が何と謂をうと、西陣の組合では、如何程気張って功績を立ててやつても、其れが解る者は居ない。(略)君なぞ馬鹿々々しくて、続く筈が無い。あかんから止めとけ」と謂った。此事を長谷川組長に話した処、「今日の西陣組合は、京都商工会議所よりも、経済状態が安定して居って、(略)貴殿は唯私の代理として、無任所大臣で渉外に当り、西陣の内情に慣れて、次の時代に処して貰いたいと思うて居る」と答えた。其時に前記の見解を述べて此組合財産をも安全に守って呉れる人が必要であると付加えたのであるから、絶対に忘れようとしても忘れ得られないものである。

    前田氏が一般の人とは異なる立場にある人間なのは間違いないです。では前田氏はいったい何者でしょうか。

    前田氏の前職

    前述の引用に、このような文言がありました。

    編者前職の関係から、西陣の風紀はよく知つて居ても。其他の産業機構に付ては素人であるから

    西陣周辺で働いているが、西陣機業に直接かかわってきたわけではないのでしょう。さらに新聞記者と旧知の仲にあり、長谷川市三氏とも縁があるとなると、一般の従業員でないのは間違いありません。

    この時点である程度どんな仕事をしていたか見当がつくような気もします。ありえそうなのは、京都府・京都市などの行政、新聞記者と旧知の仲にあるというから京都新聞などの新聞社、あとは金融機関あたりでしょうか。何にせよ、産業機構については素人と言っているのだから、西陣機業の中心──織屋、貸機、出機、糸屋、染屋、整経屋、機料品屋とか──にいなかったのは間違いないでしょう。

    人間のネットワークから探れることは多い

    前田氏の性格

    さらに考察の材料を求めて、さらに他の史料も見てみましょう。

    抑々も清算組合が事ここに至りましたのは、前田氏の性格が然らしめて言動文筆に現はれそれがため旧組合員初め西陣織物工業組合役員並に組合員の方々の感情を害し或は御迷惑をお掛けするに至ったものと観察するのであります。

    然し前田氏の是等の行動も西陣の将来のため、又組合財産を忠実に保護する熱意に外ならぬのでありますが、遺憾ながらその熱意の表現のしかたが気毒な性格のために誤ったにすぎないのであることを御憫察願いたいのであります。

    前田氏は組合を思い、忠実であればこそ石崎数太郎氏に関する件で永年間富士銀行西陣支店との間に独軍奮闘した結果中立売通智恵光院所在の巨額な土地が組合財産となったのであります。(略)(財団法人西陣織物館記、当時の従業員の陳情書より)

    従業員から慕われていた様子はここからうかがえます。(ちなみにこの中立売土地については、西陣織会館竣工の折に売却されています)

    前田氏の発言も見てみましょう。以下は前田氏が清算人を解任されたときの発言です。

    長年清算人をやりその前は理事であった。私は理事の間でも清算人になっても、その資格による報酬は一厘たりとももらっていない。また他の理事諸君は半期の賞与をもらったけれども私はそれももらっていない。また特別に役職手当も何も今日までもらっていない。つまり清算人であるけれども実は書記長であり、単なる一職員にしか過ぎない。ちっとも有難いものではなかった。

    逆にいろんな苦労を私が負うたので、最後の弁済であろうと、税金の督促であろうと私が受けてきた。私は当初からそうは考えていなかった。

    私は外部に対しては清算人としてその方が便利なときにはそうした。

    内部に対しては清算人としてよりも自分の我をはったわけではないが、しかし清算人の決議は守らねばならぬから守っていた。

    いままでもやめたかった。然しやめたらこの財産を守る人がないから、私はやめんと守ってきた。皆さんがでてきてこれを安全に守りぬくとおっしゃるのなら、これにこしたことはない。私が気にいらんことを言うておっても、 結局は自分のものになるわけではないのだから、またひとつは戦時中及び前の長谷川市三とかその輩下の遺言もあったりで、それに対して遵法せんならんものと思い遵法してきた。これが財産が一物も減らないといったところで、 我々が死んでしまえばしまいであるのと同じように、しょせん私たちは退職しなければならない職員である。だからやめろと言われればそれで結構であるが、私は希望して清算人になったのではなく、選挙されてなったのである。 だから清算人は裁判所の法規の規定によってなったのだから、裁判所にお出しになって裁判所が承諾すれば異議は申さない。

    この我を張らず、あくまで粛々と、信念をもって業務を遂行する姿をみると、行政の人間のような気がします。金融機関や新聞社にそういうタイプの人間はあまりいないような。

    西陣織物館記を読むに、前田氏はあくまで財産の保全を目的としていて、反面織屋の知的能力には全く期待していなかったようです。今はともかく昔の西陣は、大部分学歴がなかったことが知られており(小卒がほとんどで学歴に乏しく、娯楽についても、一時的快楽に逃れがちだったことは、京都二商の「西陣読本」にも記載がある)、その様子を見ている前田氏の判断は、正しい判断だったと思います。仮に前田氏が財産を保全していなかったら、西陣の財産は霧散し、現在の西陣織会館は影も形もなかったでしょう。

    現在の西陣織物館(京都市考古資料館)

    職員録にあたる

    さて、前田氏がかつて行政の人間だったと決め打ちすると、京都府の職員録を当たってみるのが筋です。京都府総合資料館に蔵書があるようですから、行って調べてみたら、以下の職員録に氏の名前がありました。

    七条警察署 警部 前田達三(大正12年職員録)

    監督課 嘱警部建築監督官補 前田達三(上京、荒神口、河原町西担当)
    (大正15年職員録)

    北野消防署 消防士 署長兼警部 前田達三(昭和2年~昭和5年職員録) 

    やはり前田氏は行政の人間でした

    昭和13年に組合就任ですから、その前年まですべて職員録を確認しましたが、氏の名前はありませんでした。当時の行政の異動の状況や制度についてはわかりませんが、京都府外に行ったか他の仕事に転職したかでしょう。単に無職だった可能性も、なくはないです。(長谷川氏が訪ねてくるくらいですから、その場合も何かしらの仕事はしていたと想像します)

    それにしても警察出身とは、盲点だったと感じざるを得ません。西陣を担当する京都府の部署といえば、商工部とか労働部(今は合併して、商工労働観光部になっている)だから、そのあたりかと思ったのですが。

    確かに前田氏の正義感の強さ、遵法意識、「西陣の風紀についてはよく知っていても」の文言、西陣人に対する(遵法意識の点での)不信……を勘案すると、なるほど確かに、すべてが伏線だったように思えます。

    京都府庁(https://www.pref.kyoto.jp/qhonkan/より)

    前田氏の年齢

    さて先ほど調べた職員録、大正12年から記載があったのも意外ですが、初出の時点で警部ということは、中級官吏の試験にパスしていたと推察できます。

    前田氏が何歳くらいか、わからないですが、大正12年で働いているなら確実に生まれは明治です。前田氏の書きぶりと、警部の役職から見るに、高校までは出ているでしょう。京都の地方中級官吏になっているあたり、間違いないと思います。

    前田氏が文献から消えるのが昭和47年あたりなことを踏まえると、明治36年あたりに生まれ、20歳くらいで高校卒業、官吏になり、35で西陣織物工業組合就任、69で清算人から除名と考えると、かなりありうる線に思えます。なおgoogle先生によると、戦前警察の中級官吏は、警部がスタートだったとのこと。

    まとめ

    つらつらと書き連ねてきましたが、ようやく前田氏がどんな人物か見えてきました

    • 前田氏は行政出身で、その中でも警察の出身である。
    • 昭和5年以降の足取りは不明だが、おそらくは西陣周辺にとどまっていた。
    • 高校卒業程度の学歴があり、西陣の財産保全について、織屋集団には任せておけないと考えていた。
    • 長谷川元組長の遺言等を守って、70歳近くまで西陣に生涯を捧げた。

    前田氏は今の組合の各種記録では、我欲で清算を邪魔して自分のものにしようとしているのだとか、散々な書かれ方をしています。が、このように種々調べてみると見え方も変わってきます。前田氏の各種行動は、織屋の見識に対する不信に端を発するもので、「然しやめたらこの財産を守る人がないから、私はやめんと守ってきた。皆さんがでてきてこれを安全に守りぬくとおっしゃるのなら、これにこしたことはない」と前田氏が言ったのも、完全に本心だと思います。

    私のこの記事を端緒に、前田氏の名誉が回復され、正当に評価されるようになると幸いです。

  • 効率化の要諦

    効率化の要諦

    現代は効率を求められる時代だ。昨今よく言われる「コスパ」なる言葉も、費用に対する効用を指す言葉で、結局は効率を指す言葉だし、生産性も効率の言い換えと言ってもよい。

    ではその効率を高める方法は?人それぞれ考え方があろうが、根本的に考えてみれば、その方法は2通りしかない。各工程の作業時間を短縮するか、工数を削るか──だ。

    本ブログで言いたいことは、この因数分解で8割がた言い切っていると言ってもいいのだが。では具体的にどうすれば作業時間を短縮できるのか、工数を削れるのかが、実務上大切な問題でもある。読者諸兄にもそれぞれ方法論があると思うが、本ブログでは私の効率化論を述べさせていただく。ここでは主に資料作成をイメージしているが、割と一般的な話なので、広く応用できると思う。

    機械も、よく考えてみれば効率化の産物である

    (前提)工数を削るのは難易度が高い

    先に述べた通り、効率化には作業時間を短縮するか、工数を削るかの2つしかアプローチがない。そして効率化といったとき、最初に挙げられるのは後者のケースが多いが、実はこれ、かなり難易度が高いことに留意する必要がある。

    規模が大きければ大きいほど合意を取る必要性が増してくるし、メリットとデメリットを正確に評価する必要が出てくる。過去にその作業が生まれたのにも理由があるから、当然、その作業がなければデメリットも出てくるわけである。

    だから工数を削るには、作業の意味を考える必要があるし、作業がこれまでカバーしていたデメリットが、すでに技術の進歩や体制の違いなど、他の要因でカバーされている必要がある。こうしたデメリットのカバーを行わないまま、さらに合意も得ないまま、勝手に工数を削れば、後々トラブルになってしまう。

    つまり工数を削るには、交渉力や政治力、観察力や分析力が必要になるわけなので、現場レベルでは、まずは作業時間の短縮を最初のアプローチとして選ぶべきだ。では具体的にどうするか。

    順番を考える

    作業にもいろいろな性質がある。こちらで1から10まで完結する作業でなければ、原理上必ず待機時間が発生する。もちろん、待機時間が発生する作業は、できるだけ早くやっておいた方がよい。その時間で他の作業ができるからだ。

    順番を考えるとき、それぞれの作業で共通部分がないか見るのも重要だ。調べ物もその一つで、前提知識があるだけで、「何を」「どう」「どのアプローチで」調べるか、アタリをつけやすくなる。

    手戻りを減らす

    順番を考える場合、手戻りをいかに減らすかも大事な論点だ。手戻りが生まれると、当該箇所すべてを修正しなおさないといけない。手戻りが生まれる可能性がある作業(資料)については、たたき台のレベルで作っておいて、本決定したら修正するのがいいだろう。手戻りが生まれないよう、関係各所とあらかじめ調整しておくのも、ある意味テクニカルではあるが、非常に大切だ。手戻りは上席の誰かの意見で生まれるのが常である。

    なお、手戻りが生まれた場合に備えて、影響箇所を狭くしておく試みとして「モジュール化」がある。これは作業や情報を細分化し、あらかじめ一つのまとまりとして成立させておくことで、その目的を明確化するとともに、専門性を高める効果のあるやり方だ。定期的に研いでおく必要はあるが、急ぎの時にパッと質の高いアウトプットを出せるメリットは、事務職が持っておく一芸として十分有用だ。例えば前述の資料作成なら、あらかじめフォーマットを作っておいて、何を入れても見た目がよくなるようにしておくとよい。

    このモジュール化の取り組みは、共通部分をあらかじめ作っておく観点でもかなり使い勝手が良い。似た作業があれば、そのモジュールを使って、共通の規格で、共通の情報を使って行うべきだ。これは次に述べる、思考コストの節約にもつながる。

    モジュール化の図(西進商事のhpより)

    思考コストを下げる

    効率化で一番の敵は何か?余計なことを考えることだ。判断している時間が一番無駄で、一回決めたら事情がない限り変えない方が良い。

    これは共通の規格を最初にバチっと決めておくことで実現できる。余計に変えないことでこちらは作業効率が上がり、成果物の受け手からしても、ノイズが排除され、内容が頭に入ってきやすくなる。

    いわゆるマニュアル化も、この延長線上にある。よくマニュアルの意味を考えろと言われるが、これは作業中にautomaticalにやるべきことであって、作業中にいちいち考えてたら、一生作業が終わらない。これは最後の宿題としてメモしておいて、最後、余裕のある時に変更を加えればよい。

    ちなみに、同じ道を通っているはずなのに、初めて行く場所と何度か行った場所で所要時間が全然違うと感じた経験がある人は多いと思う。これは「目的地を探す」思考のコストが削られた分の違いだ。右に行くか左に行くかをいちいち迷ったりしない分、スッと目的に向かえるのである。

    規則に従うのも、思考の節約手法としては悪くない

    緊急性の高い仕事からやる

    最後に。言うまでもないが、緊急性の高い仕事からやるのは基本である。ただしここで大切なのは、多少遅れても気づかれないような作業は、いったん後回しにしてもよいことだ。たとえば何かの発送とか、何かの起案とか。他人──特に他の業者が介在する仕事は、1日くらい後回しにしても、先方はそれが僕のせいなのか、他の業者のせいなのかわからない。不確定要素の多い仕事は遅れたときの合意が得やすい。前にブログで書いたように合意が得られるかどうかは、常に判断基準として重要だ。

    ただ、もちろん、あんまり遅らせるのは迷惑だから、他の緊急性の高い仕事が片付いたら、さっさと着手して終わらせなければならない。信頼を失わないよう、誠実に立ち回ろう。

    おわりに

    効率化の根本は「作業時間を短縮する」「工数を削る」の2択なのは、すでに述べた。ここで述べたのが手法のすべてでは決してないが、この作業は削れるか、削れるとしたらデメリットはどうか、説得できるか、あるいは作業時間を短縮できるか……の思考は、作業前に当然巡らせておくべきである。同じ作業でも、やる人によってかかる時間が倍違う場合もある。

    私が以前読んで、今でも気に入っている本に「完全無欠の問題解決」がある。問題解決を「問題を定義する」「問題を分解する」「優先順位付けをする」「作業計画を立てる」「分析をする」「分析結果を統合する」「ストーリーで語る」の7要素に分解し、それぞれのやり方を解説するもので、大いに参考になった。なかなか面白い本だったので、気になった方は読んでみるとよいだろう。

  • きものはいいぞ!

    きものはいいぞ!

    きものを着ている人はかなり少ない。一部に和装愛好家がいるものの、きものを日常生活で着るのはかなりハードルが高いし、そもそも現代社会は洋装を基準に作られているから、生活様式としてなじまないのは当然である。

    ではきものは不要かといえば、そうでもない。型が大きく違う分、服装としても性質が変わってくるのだ。洋装と比べて和装は何がいいのか?あまり取り立てて説明されてこなかったこの疑問について、今回は答えていこう。

    体のシルエットが目立たない

    全てとは言わないが、洋装には体のシルエットを活用したものが多い。洋服が入ってきたときに「ぴっちりした服装が欧州式個人主義の象徴だった」などと評されていた本を読んだことがあるが(どこに書いてあったかは忘れた)、これは依然として大きな違いとして、和装と洋装の間に横たわっている。洋装のこの特徴については、オフショルや、胸元の下が開いている服を想像していただけるとわかりやすい。

    洋装には体のラインを強調するものもある

    一方で、あまり体を出したくない人もいる。和装はそんな人に合っている。きものは基本的に、人によって特殊な仕立てをしない。作るものによってさまざまな形のパーツを作り、立体的に仕上げる洋裁と異なり、和裁は長方形のパーツを組み合わせる。仕立てからして平面的だから、体のシルエットが出づらいのである。この仕立ての特徴が、最終的に余りを小物にしたり小道具にしたり、リメイクがしやすい利点にもなる。

    大和撫子は和装が似合う……との謂いを聞いたことがある人もいると思うが、これは和装の場合、上記の理由で、自己主張が激しくならないことに起因する。と思う体のラインを強調した派手な服装は、和装では難しいのである。

    和装は体のラインが目立たないhttps://kitsuke-hikaku.site/research1/https://kitsuke-hikaku.site/research1/から引用)

    柄自体の表現力が高い

    「外見は内面の一番外側」との言葉がある。実際、ファッションは自己表現の手段として使われている。和装では派手な服装が難しい、ならば派手な表現も無理か?といえば否だ。布の面積が大きい分、柄の表現力が高いのが和装の強みといってよい。

    洋装の場合、使える面積がそもそも少ないから、この部分では和装に大きな分がある。芸者さんや、普通の人が晴れ着で着る振袖も、袖の面積が広い分、訪問着と比べて表現力に差が出ている。付言すると、きものにはすでに固定化されたイメージがあるから、洋装では絶対に使えないような柄でも使いやすい事情もある。

    柄の表現力には、単に絵画的な表現の延長として理解してもいいが、柄にはそれぞれ文化的な背景があり、さらに着用者それぞれが付与する特殊な意味合いも乗ることに留意すべきだ。キャンバスの広さから生まれる柄の表現力が、センスに裏打ちされて、トータル・コーディネート的なストーリー描写力を生む土壌となっている。

    友禅のきものはその圧倒的な表現力で著名(https://www.studio-alice.co.jp/seijin/furiho/furiho_times/hurisode/kimono-yuzen/より引用)

    文化資本のアピールになる

    きもののメリットといって、まず思いつくのがこれかもしれない。まずきものは相場からして価格が高いから、当然、ある程度上流でないと買えないと考えられている。実際は買うか買わないかの違いでしかないと思うが、世間的な認識としてはそうだ。

    無地が普通で型も決まっていて、表現の場といえばネクタイやスカーフくらいな洋装と違って、和装は柄があるのが普通といってよい。それに多品種少量生産が普通だから、あまり奇抜な柄でない限り、そして式典のようなドレスコードが決まっている場所でない限り、フォーマルシーンでの遊びの幅が広い。

    だからこそ文化資本のアピールになるのである。過去に「センスのいいものに囲まれよう」で紹介した通り、センスの良さとは「自分の置かれている立場を表し」「ストーリーの中に組み込む」ことであって、柄はストーリーを表す最もわかりやすいツールになる。とはいえ、どのような柄がどのように理解されていて、それを踏まえてどのような意味合いを持たせるかについては、完全にセンスの問題である。完全に知的遊戯の域に入っており、万人向けとは言えない。だからこそ文化資本の証明になるのであるが。(「この柄のきものはこの場面で着られる」といった、販売現場での着装の指導は、この部分を自分で判断できない人に向けたサービスと言ってもいい。完全にバカ向けの商売である)

    組み合わせにセンスが出る

    きものというキャンバスでの表現は、独りきものだけで完結するものではない。帯と周りの小物(衿や紐、帯揚げなど)とも組み合わせて、総合的に作り上げるものだ。特に帯は着装の要であって、帯ときものの組み合わせがセンスを表現すると言ってもよい。

    着装のセンスは奥が深い。先に述べたような、状況やストーリーに合わせた柄を選んで特別な意味合いを持たせるのは、最もわかりやすい例だ。それ以外にも、綴れ織、絽や紗などの捩り織(御簾などに使われる、いわゆるスケスケの組織だ)、天鵞絨(ビロード)織といった織法による区別があり、正絹や麻、そのほか混紡糸や紬糸(つむぎいと)、御召緯(おめしぬき)、金銀糸、真珠箔などの素材の違いがあり、手描き友禅や型友禅、鹿の子絞り、草木染といった染織技法による違いもある。言ってみれば千差万別であり、それぞれ固有の特徴や演出効果がある。これに柄の違いが加わり、もちろん実用上の違いもある。

    捩り織を織っているところ。西陣織工業組合ホームページ「西陣織屋紹介 泰生織物」より

    組み合わせはまさしく無限大であって、したがって表現の幅も無限大なのだ。さらに最初に述べたように、和装は体のシルエットがあまり目立たず、つまり個人差が出づらい。ともすれば、人によって似あうコーディネートが固定化されがちな洋装と違って、和装のコーディネートは多くの人に開かれている。まさにファッションの楽園なのである。

    フォーマル着として使える

    これは実用上の理由としてよく言われるものでもある。ただファッションが楽しいと話すだけでは、買う理由として薄いと考える人もいるだろう。もちろん単に娯楽用途だけではない。

    きものはフォーマル着として広く使われていることで知られる。海外ではきものはフォーマル着で通用すると聞くし、マナー違反にならないから気楽でいいとの声もある。女性はあまりスーツが似合わない傾向にあるように思うから、女性の場合はきものでの出席の方が見栄えもして良いだろう。もちろん男でも見栄えはするのだが、そもそもきものを持っている男が少なく、スーツでの出席がほとんどである問題がある。これは呉服業界の課題の一つだ。

    (宣伝)西陣織会館でファミリーセールやるから来てね

    さて西陣織会館で今度、ファミリーセールが開催される。一応招待制をとっているので、来る人は招待券をお持ちいただきたい。招待券は西陣織工業組合ホームページ内のこのページから申し込める。

    手前味噌にはなるが、ファミリーセールでメーカー直販のイベントだから、他と比べてかなり安くなっている。一般小売価格の3割引き位のものも珍しくないほどで、もちろん品質は西陣だ。きものデビューに最適なイベントだと自負しているから、ぜひ来てくれると嬉しい。(著者も会場にいます)

  • 組織の論理(合意のススメ)

    組織の論理(合意のススメ)

    組織が大きくなればなるほど、自分の裁量で自由自在というわけにはいきません。なるほど確かに、オーナー社長の鶴の一声で事が決まる大企業もあります。しかしよく見てみると、これも組織の論理に忠実な現象なのです。そして組織の論理とは、いかに合意を取るかに終始します。

    今回はこの合意について見てみます。組織で立ち回る大きな参考になると思います。事務方を想定して書いていますが、他の職種でも役に立つ話ではあるはずです。

    事業規模が大きくなるほど合意の必要性は高まる

    規則は合意の集合体だ

    組織の大きさはステークホルダーの人数に比例します。例えば住民全てがステークホルダーとなる公務員は、巨大組織の典型と言ってよいでしょう。

    公務員の仕事は、よく「お役所仕事」と揶揄されます。規則に厳格で融通が利かないことを指しますが、これは「合意」と規則の関係を整理すれば明快です。

    そもそも規則とは、あらかじめ合意した事柄の集合体です。適切に守っている限りで、「ここまでは文句言いっこなし」と決めたのが規則です。つまり規則とは、合意より上位にあるものでなく、むしろ合意の方が上位にあるのです。普段は規則が合意を代表し、二つに差が生まれたら、規則が改正されます。

    行政は、規則を変えるのに関係するすべての事業所等々にヒアリングし、議員などが議案を提出して、議会で承認を得て、首長が公布するものと聞いています。規則の制定プロセスが強固で、多少の住民が異を唱えたとて、到底合意は取り切れないのです。だから大っぴらに融通を利かせるわけにいかないし、規則に厳格にならざるを得ないのです。

    一方で公務員のような巨大組織にいない限り、規則の固持は実はあまり意味がありません。多数決の原理でいくらでもひっくり返せるのです。関係者が少なく、規則を守って生まれる利益と損失、破って生まれる利益と損失とを勘案して、柔軟に物事を進める必要があります。

    ルールブックもよく見ると儚いものだ

    「合意」とは?

    JTC(Japanese Traditional Company:伝統的日本企業)のハンコリレーはよく揶揄の対象になります。無駄の象徴とも言われがちなこの風習は、決裁権者すべての合意を取る過程である、と考えれば明快です。

    現在の日本はほとんどの場所で議会制民主主義が採用されています。国は国会を、県は県会を、市は市会を、株式会社は取締役会を通さなければ、組織を動かせないことになっています。イギリスの議会制民主主義を指す言葉に「王は君臨すれども統治せず(King reigns, but does not govern.)」との言葉がありますが、これは「朕は国家なり(L’État, c’est moi)」と言われるような絶対王政に対し、議会に実権がある状況を指します。

    合意を得ておくと判断の責任が分散されます。一人の独断専行で進めると、問題があったときに全責任が降りかかってきます。後々トラブルになったときのため、内々で進めるだけでなくて、できるだけ広い範囲の人を巻きこんでおいた方が、仮に裏切られたときリカバリーが効きやすいのです。

    イギリスでは議会で物事を決めることになっている(https://parstoday.ir/ja/news/world-i58482-%E8%8B%B1%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E3%81%A7_%EF%BC%A5%EF%BC%B5%E9%9B%A2%E8%84%B1%E6%B3%95%E6%A1%88%E3%81%8C%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%8F%AF%E6%B1%BAより引用)

    だれに合意を取るべきか?

    あらかじめ関係各所に話を通しておき、賛意を確認しておくのが、いわゆる根回しです。会議の前に根回しを済ませて、会議本番ではシャンシャンで終わらせる──これが綺麗な会議のお作法とされますが、ではいったい誰を巻き込むべきか?

    組織によって違いますが、まず最初に話を通しておくべきは上長です。普通は決裁フローの中に組み込まれていますが、上長やさらに上、上……と必要なだけ話を通しておけば、それだけ話は早いです。直接話せるかの問題もありますが。上長が話のわからない人なら、さらにその上に内々で話を通しておき、上から無理やり通す裏技もあります。

    決裁フローだけでなくて、実行の上でネックになりうる場所があれば、そこにもあらかじめ話を通しておく必要があります。外注先が決まっているならそこに話を通しておくべきです。決裁がおりて実行する段になってから、やっぱりできませんでした、では話になりません。

    話を通すときには、全体のメリットを考えなければならない

    他人の合意でショートカットする

    反対しそうな人を飛び越えて他の人にあらかじめ合意をとっておき、反対しそうな人に対して「○○さんもこう言ってましたよ」で黙らせる技があります。

    先ほどチラっと書いた裏技がこれです。本当に全体のためになる提案だと確信が持てて、その人を納得させられるならよいでしょう。最終的に決裁権者の全員の合意が取れれば何でもいいのです。とはいえ、そのためには普段から関係を作っておかなければなりませんし、ちゃんと説得できる材料も必要ですから、そう簡単な話ではないわけですが。

    なおこうした力業は、仮に失敗したときのリスクが大きいので注意が必要です。

    手続きを守らなければ責任問題になる

    合意を取る話をしてきましたが、さらにその先、手続きの重要性も無視できません。

    決裁を取るのが面倒だからと、手続きを踏まずに個人の判断で進めたら……失敗したときの責任がすべて降りかかるのです。上席の人間を巻き込んでおけば、そっちの方が目立ちますから、必ずしも現場に責任は降りかからないかもしれません。だが責任問題から端を発して、組織の内部分裂も考えられます。最悪のケースを想定して、手続きをまじめに守るか、なるべく多くの人を巻き込むのがいいでしょう。

    手続きを軽視した結果、戦後の西陣では織物館をめぐってカオスな状況になった

    裏技を使うときは、合意が取れるか考えよう

    世の中にはグレーゾーンがあります。ルールでは禁止されていないものの、多分やらない方が良いことがそれです。

    グレーゾーンの中でも、場所によってやっていいことかどうか変わるのが、話を難しくしています。例えば大学で授業に潜ることを考えましょう。大学の授業は、普通、潜っても特に問題がありません。単位にはならないが、勉強するだけなら許されるでしょう。学外の人でも、潜ろうと思えば潜れます。一方で高校の授業はどうでしょうか?高校の授業は普通、クラス制で、決まった人が受けます。他の高校に侵入して、授業を受ける人などほとんどいないと言っていいでしょう。もちろん、許されないだろう。

    この二者の違いは何でしょうか?ズバリ、合意が取れるかどうかです。どちらも指摘されれば諦めざるを得ないのは前提として、後で自分の行動が周りに知られたとき、周りからの信頼を失うかどうかは、合意が取れるかにかかっています。

    合意が取れるかは、社会常識や状況など、所属するコミュニティの価値観に大きく左右されます。会社や学校に入ったら、まずは大人しくしておいて、他者理解に努めつつ、そのコミュニティの価値観を冷静に判断するのが賢明です。

    周りに迷惑をかけたり、やり方を間違えない限り、社会は意外に自由である
  • 仕事は楽しくやろう(「生きるだけ」で終わらないために)

    仕事は楽しくやろう(「生きるだけ」で終わらないために)

    仕事に楽しさを求めるか給料を求めるか、この二者択一(?)は求職者永遠の課題です。就職した後も多くの人はこの問いに向かい続け、ある人は夢を追って仕事をやめ、ある人は閑職に追い込まれてなお職にしがみついています。またある人は給与の少なさに絶望し、より報酬の高い仕事を求めて転職活動をしています。

    人それぞれ価値観は異なり、重視するポイントも人それぞれですから、この問いに答えるのは簡単ではありません。それに、給料が高ければ他のすべてが我慢できるようなものでもありません。

    それはともかく、僕の答えは、「楽しさの方が大切」です。これには深い理由があります……。

    (前提)楽しさと給料はトレード・オフではない

    まず、楽しい仕事と給料のいい仕事はトレード・オフではありません。給料の多寡は、単純化すれば、需要と供給と、雇い主の懐事情で決まります。基本的にみんながやりたがる仕事は給料が安いですし、やりたがらない仕事は給料が高いです。そして儲かっているところは給料が高いですし、儲かっていない所は給料が安いです。これを踏まえると、楽しくて給料が高い仕事をやろうと思ったら、「誰もやりたがらなくて」「儲かっていて」「でも自分は楽しいと思う仕事」をやればよいことになります。まぁ、給料が高い仕事の新卒はほぼ無条件で倍率が高いですから、そう簡単にはいかないわけですが。

    • ※前提として、事象Aと事象Bがトレードオフになる場合とは、事象Aと事象Bが背反である場合、さらに言えば、事象「Aでない」から事象Bが導ける場合です。この場合、「楽しい」は主観、「給料が高い」は客観です。(給料の多寡も主観だと主張されるかもしれません。その意見には全く同意ですが、「楽しい」と比較すると客観的ですから、今は客観ということにしてください)

    さて、前提は確認しました。ここからはもっと深い話をしていきます。

    給料以上のものを仕事で得よう

    仕事は給料を得るためだと主張する人は少なくありませんが、ホワイトとされる955(9時から5時まで週5日)ですら、平日の覚醒時間の半分以上を仕事に捧げるわけで、給与所得のためだけにこの犠牲は、割に合わないと思います。

    仕事をするメリットの第一は、自己紹介がしやすくなることです。仮にあなたが車屋だとしましょう。初めて会う友達に自己紹介をするとき、まず自分の名前を紹介して、仕事を紹介して、それから出身地とか大学とか、その辺の紹介をするでしょう。そしてそれを聞いた相手は、あなたのことを車屋の人で記憶します。次に車関係で相談があれば、まずあなたにあたるかもしれません。

    名刺は社会人必須のアイテムだ

    仕事は絶対に好きな業界で働くのがいいです。車屋でないと車業界のことはわからないでしょうし、伝統産業のことが知りたくて好きなら、その業界に入るのがいいです。「業界内部に入る」とは、値千金どころの話ではないのです。

    人と関わる機会があっても、自分がどんな人間で、信用に足る人間であることを認めてもらえなければ、実のある展開は期待できません。信用していない人間に重要な情報は教えないし、仕事も回さないからです。某漫画の主人公が「人脈と信用が大切」と言及していたが、まさにそうです。ある程度大きなことをやろうと思ったら、人と人との繋がりが大切になります。知り合いが多いだけではなくて、「この人なら信頼できる」「まじめに仕事をやってくれる」の安心感がないと、先々につなげられないし、目の前の仕事も覚束ないです。

    「世紀の大天才」は、人脈と信用こそが実行のキーファクターだと喝破した

    「社会資本」を得よう

    この信頼のことを社会資本と呼びます。これは一朝一夕では手に入りません。お金があれば手に入る性質のものでもありません。目の前の仕事を愚直にこなし、周りのみんなを儲けさせ、幸せにして、そしてすべてに感謝してこそ得られるものです。そして社会資本を得るには、仕事としてその業界ないし作品、製品に本気で向き合う(少なくとも、周りからそう見られる)必要があります。最終的に業界の振興の担い手になろうと思ったら、業界内の信用と顔の広さは必須です。プラトンは、ソクラテスの言葉として以下の言葉を紹介しています。「一番大切なことは、単に生きることではなく、善く生きることである」。めくるめく未来を想像して、世のため人のため、そして自分のために生きるのと、単に給与所得のために生きるのでは、天と地ほどの差があります。

    仕事として本気で向き合おうとしたとき、嫌いなことに熱量を持って向き合うのは、こだわりが強い人間にとってかなり難しいことだと思います。嫌いなことにフルコミットなどできるはずがないのです。まぁ、出来のいい諸兄はできると思うので、僕にはできないだけの話です

    人と人のネットワークこそ仕事で得られる最大の資産だ

    楽しくない仕事で品格を見せよう

    世の中の仕事には雑用も多いです。単に荷物を運ぶだけとか、新聞を読んでコピーして回覧に回すとか、ひたすらハンコを押すとか、封筒にひたすら詰めるとか。仕事が信用につながるといっても、雑用までする必要があるのか、疑問に思う向きもあるかもしれません。

    さて、某漫画の主人公はこうも言っています。「動くべき時に動けるか、それができる人間はたとえ泥にまみれても綺麗だ」。これこそnobless oblige(ノブレス・オブリージュ、「位高ければ徳高きを要す」)の神髄であり、雑用のような仕事こそ、自分の品格を磨くのです。だから雑用を振られたら、「爆速で終わらせる!!」のノリでやるのがおすすめです。早く終わらせて雑用全てを平らげたら、面白い仕事が降ってくるものです。

    かぐ〇様単行本第12巻121話、〇宮かぐやが新聞部部長を助けにドブ池に入るシーン

    今の時期は、新しい環境で辞めるだの辞めないだのと騒がしいです。周りでも仕事が好きな人嫌いな人、色々いますが、やめる人は概して「社会資本」の概念を欠いていると思います。好きな人でも考慮していない場合は多いです。「後悔しない、最善の選択」を取ろうと思ったら、目先の報酬──給与所得とか──だけに目を向けず、広い目で見て、取れるだけ情報を取り、持続可能性のある決断を下すのが大切です。

    「人間はポリス的動物である」とアリストテレスは言いました。人間は一人で生きていけないのですから、他人とのかかわりを軸に人生を設計するのは、決して悪い選択ではないでしょう。

    「アテネの学堂」ラファエロ作、バチカン宮殿内
  • 西陣織物館記(明治元年~二年)

    西陣織物館記(明治元年~二年)

    明治元年より同三十年迄の西陣織屋団体の隆替と其の事務所(会館)の変遷

    第一編

    第一章 明治元年西陣織屋仲ヶ間と仲買商仲ヶ間との議定一札

    第一節 議定取交わし由来

    此の議定とは、申合せ書であるが、西陣織屋と仲買商が、組合を仲ヶ間と云つた時代、団体交渉により申合せた、最後の文書である。

    徳川幕府が、大政を奉還して、王政に復古し、帝都が江戸に遷つたので、京都の街も、やがて古都奈良のようになりはせんかと心配した。別して西陣織屋と下京の仲買問屋は、失望落胆と共に、此上は商工業者互に結束して助け合い、難局を突破すべきであると、両仲ヶ間の肝煎、取締役が、各々思案の末、取替え一札とはなつたのであろうが。明治大革新の嵐の際、付焼刃の気休めでは物に成らず、早くも翌明治二年には、次章の西陣物産会社の設立により、此議定書二巻は、屑紙同様となつて、文献としても、史実としても価値なきものとせられ、何人の目にも留めて貰えなかった。

    此議定書二巻は、西陣織物館の筐底に、うずもれて居た。署名者中には、其後裔が現存して、同業を続営し発展している店もある。

    茲に全文を掲げて本記の起筆とする。

    第二節議定書

    一、西陣高機八組より、西陣織物仲買へ議定一札

    議定為取替一札之事

    西陣高機織物之儀、京都第一之産物ニテ往古ヨリ諸国江普通二付而へ其御仲買方江売渡来候儀ニ付互二水魚之交リヲ結ヒ相続仕来候処今般御大政御一新二付総而旧弊御廃止二相成商法御会所御取建仲ヶ間江夫々御鑑札御下ケニ相成壱番組織屋仲ヶ間並壱番組仲買ヨリ御鑑札被下置難有依之商法速二相立候放新二双方立合実意ヲ以熟談致候而確定之上自今壱番屋方二而織出シ侯品へ従来共御仲ヶ間中二限り売渡シ来候儀二付猶又相改メ壱番組諸織物限リ以来決而他売致間軸候仍而不相変其御仲ヶ間江売渡侯間已後不実成取引等無之樣西陣壱番組織屋小前之者二至迄引立方相続二相成候而土地衰微二不相成樣実直之取引致永世商法相建テ双方申合役中之者調印確定之上へ無異変為取替一札依而如件

    明治元辰年十二月

    壱番織屋
    高機八組

    肝煎

    鱗形屋治兵衛 
    伏見屋新助

    取締役 

    永組 檜皮屋利兵衛
    亀組 緞子屋治郎兵衛
    梅組 近江屋久兵衛
    松組 伏見屋織兵衛
    紗組 紗屋利右衛門
    本地組 房屋喜兵衛
    鶴組 錦屋平兵衛
    竹組 堺屋九郎兵衛

    壱 番

    西陣織物仲買
    御肝煎中
    御組御一同衆中

    • ※高機八組とは江戸時代の仲ヶ間組織のことで、西陣の営業権を独占した。なお当時は御寮織物司と呼ばれる織物業者がおり、織物業者としては、この御寮織物司の方が格が高く、大名や皇室等の注文を受けた。御寮織物司としては井関家や三上家などが知られている。

    二、西陣織物仲買より高機八組へ議定一札

    議定為取替一札之事

    当仲買之儀者往古ヨリ西陣高機織物限り買請来リ侯儀ニ付互ニ水魚之交リヲ結ビ相続仕来候処今般御大政御一新二付商法御会所御取建仲ヶ間江夫々御鑑札御下ケニ相成候処西陣壱番組二而顧立候諸織物当仲ヶ間江買請 侯儀二付旧弊相除キ商法之大意ヲ旨トシ自然織物不捌ヶ之節者実意ヲ以談事方致双方納得之上買請不実之取引 等決而不仕尚小前之衆中二至迄相続専一二仕決而不当之直組等致間敷候依テ不相変壱番組織屋仲ヶ間ヨリ被織立候品々手広二買請実直二取引仕土地衰徵不相成機今般双方確定之上永世之商法相立候上者後世二至り侯而モ異変無之樣相互二役中之者連印為取替一札依而如件

    明治元戊辰年十二月

    壱番

    西陣織物仲買

    肝 煎

    誉田屋庄兵衛
    千切屋治兵衛

    取締役

    雁金屋半兵衛
    誉田屋正五郎
    井筒屋半兵衛
    鍵屋源兵衛
    藤屋長兵衛
    菱屋治郎右衛門
    雁金屋吉兵衛
    菱屋治三郎

    一番織屋
    高機八組
    御肝煎中
    御取締中
    御組一同衆中

    第三節 商法会所と京都財閥三家の勢力

    京都府商法会所、後の勧業方前節議定書に、「商法御会所御取建仲ヶ間江夫々鑑札御下げに相成」と謂つて感謝している。此会所とは京都府の一分課であつて、明治二年四月七日、之れを廃して、勧業方と称する課を設 けた。

    右会所は、明治元年四月二十五日京都知府事長谷信篤が任命せられ(京都府知事と改称したのは明治二年七月十七日)謂わば応急措置に設けたものであつて、存続期間は、永くても十ヵ月には満たなかったらしく、従って著しい仕事も出来そうなこともなく、史録にも残されるような事績も見当らない。故に夫々に鑑札を下附すると 云つても、京都市の商工業者全員個人別に下附したとすれば、当時の役所仕事の状態からして、一年や其所等では到底渡し切れるものではなく、恐らくは旧仲ヵ間の、名前帖により、旧慣に従い、夫々の仲間即ち組合に、 取扱わしめたものと思われる。

    此鑑札の下附は、即ち営業の許可制であつて、若し其取扱いが事実上仲ヶ間に委任されたのであれば、新規業者に対する牽制策となり、旧業者の既得権を保護したものであるから、旧来の商工業者は感謝して当然である。然し、之れを単に封建的保守反動的行り方であると、見てしまう事も当らないのであつて、当時は諸政御一新の革命思想が澎湃として、四民平等から、営業の自由を唱え、就中、職工、徒弟制度の、人権を無視した、旧来の仲ヶ間団体破壊の論議が、盛になつて来たから、自然大棚の旦那は、商買に嫌気が生じ、生産及取引の熱意が無くなった。是れでは京都市の経済界は崩壊し、衰微することは、火を見る如く明かである。此際之等の人々を 其緒に安んぜしめ、革新政治を、平穏に進行せしめようと、計つた策であると謂うても、そう間違っては居ない と思う。

    此意味に於て、御会所の設置は、短期間ではあつたにしても、其効果は大きく、京都府知事に建言した、其道の有力者があつたからと思われる。

    三井、小野、島田三家の勢力

    当時京都の大財閥は、三井八郎右衛門、小野善助、島田八郎右衛門の三家であ つた。其他に富豪はあつても、此三家とは、比較にならぬ少資力であつたし、京都府知事も、此三家には厚く礼を尽した。王政復古と称した、政争の禁裏諸費用は、此三家から貢がれ、影の大きな功績者であるとも云われ、 宮庭内裏の勢力は、薩長土藩閥も及ばなかつたとの、語り草もある。三井家は説明の要はなかろう。小野家は、烏丸通押小路から二条通間の大邸宅を構え、皇室に親近して、金融用達を勤めた。遷都と共に東京へ移住し、明治六年には小野組一門挙げて、東京府移籍届を、京都府に提出した。槇村京都府大参事は、此様な大金持が、次々と東京へ移つては、京都は益々寂れるのみであると、其届書を握った儘で、京都裁判所へ送付せないので、裁判所は司法省へ其旨を報告し、槇村大参事は、其為に拘置せられた程の、有名な事件がある。小野組の勢力の一端を物語るものであろう。又島田家は金融業と呉服商を兼営して、京都市の経済界を左右する力を持つたから、 此三家を差し置いては、荒廃せんとする、当時の京都の産業を立直すことは不可能である。故に此人々が、長谷知事の枢機に参劃して、漸進方策を以て行つたと想像する。

    • ※1 この三井は現在の三井財閥につながる。小野・島田家は、ともに明治年間に破産。

    前記物業方設置の翌年正月、東洞院通六角下ル東側に開設した、物産引立会所御用掛は、此三家と下村正太郎 が任命せられ、所謂京都府市の殖産興築に貢献したものであることからも窺えるものである。

    第四節 仲買仲ヵ間より高機八組宛一札

    右勧業方が設置せられた時、仲買商より西庫高機八組宛の一札を次に記す。

    一、先般本文之通為取置侯多商法御会所御廃止相成今般京都政府於勧業方御取被遊都而諸仲ヶ聞是迄之通御建置相成則名前帳面右勧業方へ奉差上置侯付本文為取之条目双方相互二堅相守第一土地之資發 不相成檬実直取引致小前,者引立方之御趣意相守永続相成樣心掛聊異変有之開敷設仍而尚又連印為取容置

    一礼如件

    明治二已年六月

    壱番

    西陣織物仲買

    肝煎
    誉田屋庄兵衛
    千切屋治兵衛

    同取締役惣代
    菱屋治郎右衛門
    鍵屋源兵衛

    一番織屋高機八組
    御肝煎中
    御取締中

    右一札に対する、高機八組からの取替書は保存せられていないから、織屋仲ガ間から返書を発送したか否かは判然せない。畏らくは発送して居ないのが真実と思われるのは、此時には既に織屋側には、次章の会社設立に関 し、京都府の指示を受けて居たので、空文に等しい取替書の一札なぞ出すに及ばなかった状態にあつた。

    第二章 西陣物産会社

    第一節西陣物産会社創設事情

    京都府知事よりの申渡

    明治二年十一月、京都府知事三位長谷信篤は、西陣織物産業の窮境を救い、之を保護奨励の為に、織物業者の新団体を結成せしめ、製品の取引制度を改革せしめる目的で、其有力者を招致して、西陣物産会社を設立せしめた。

    此史実に付ては、明治四十二年十二月十四日、西陣繻子織新織法案出等の功績により、藍綬褒章を下授せられた橋本伝蔵が、八十一後の高齢の時の談中に、

    明治二年十月京都府より自分等御差紙有之侯ニヨリ府庁へ出頭シタルニ知事申渡へ西陣ノ織物大ニナラシムペシ其方法トシテへ織物ノ取引所設クペシ云々ト御熱心奨励被下

    とある。当時京都府庁は下立売通新町西入目守護職邱、即ち現府庁の地※2にあつて、出頭したのは其所であ る。右に付ては、もつと考察して見る必要があると 思う。

    • ※2 京都府庁は旧京都守護職屋敷を活用して設置されたことが知られているが、明治4年から明治18年までの府庁は二条城に置かれた。現在の本庁舎(旧本館)の竣工は明治37年。

    勤王討幕内乱による西陣の打撃文久、元治、慶応、から明治二年迄、凡十年に渉る歳月は、勤王攘夷佐幕開国の政争に全国が沸騰して、皇居京都は、権謀術数、剣撃闘争の日々が繰返えされた。殊に元治元年七月十九日から、同月二十日夜に至る迄、燃え続けた所謂甲子禁門の戦による兵燹(へいせん)は、河原町通三条上ル東側、長州藩下屋敷から火を発して、市内八百十一町、戸数二万七千五百十三戸が焼亡したと伝えられている。

    次で明治元年(慶応四年) 正月五日「菊は咲く咲く葵は枯れる」の俗語で名高い、伏見鳥羽の合戦から、同年 四月十一日江戸城の明渡しとなり、錦旗東征、函館五稜郭の一戦を最終として、戊辰の役と称せられた、朝幕の葛藤は一応終息し、王政復古とはなつた。

    此永年に造る国内の擾乱が、西陣織物の消化力に甚大な打撃を与えたことは古から戦争の度毎に受ける、平和産業西陣織物の宿命に例外はなかった。況(ま)して、明治二年三月二十八日、明治天皇が、東京へ都を遷された時には、徳川幕政三百年、商工業の繁盛を江戸に奪われた悔しさも、今度こそ吾世の春となつて、見返す時節到来と、喜びの期待が大きかつただけに、京都市民の落胆は見るも憐れであつたと云う。中でも西陣織物業者の前途は真闇で、忘然自失の有様となったのは尤もである。

    京都御政府へ西陣織屋匡救歎願

    抑も、徳川が天下の覇権を握った慶長此方、泰平の時世が続いたと謂っても、西陣屋街は幾度も、全滅に近い大火に通い、飢饉による災厄に襲われ、商買上では他産地の侵攻あり、糸屋の思惑買〆による暴騰あり、その度毎に、公方様、所司代御奉行様に願上奉つて、お助けを乞うたり、他産地を抑付けて貰ったりした。即ち極端なる特権階級の保護政策による、温床に安住して来たのであつた。

    明治の大改革により、諸政卿一新と云つても、未だチョン幅は其の儘であり。侍は二本帯刀して居た時代故、西陣織屋も昔からの習性は抜け切れなく、京都御政府様にお授けを乞うたし、又此際そうするより他はなかつたの でもあつた。第一行く先々の事は何とあろうと、今日の織屋が立行かなくなって来たので、先般明治政府から、 京都府へ、勧業資金として貸下げた、金十五万円から、此危機を脱する為の資金を、御貸下げ賜わるよう、織屋仲ガ間肝煎から願出たものと、謂っても間違いあるまいと思う。

    此時京都府には、長谷知事を補佐する為、槇村大参事が任命せられ、満々たる野心を抱いて、革新政策を断行せんと意気込んでいる際であり、京都市重要産業の興隆の為、資金を貸付けると共に、封建時代の遺物、仲ヶ間制度を廃止せしめ、新産業組織による団体を結成し、其れを基盤として、西陣産業を育成しようと計画し、同時に此全西陣統合体に貸付金に対する責任を持たしめることにしたのである。

  • 西陣織の来歴(西陣織物館記を読む)

    西陣織の来歴(西陣織物館記を読む)

    はじめに

    2年半前に「西陣555年記念事業」が行われたように、西陣には長い歴史があるが、そのうち過去を詳述した資料はまれである。

    織物の歴史はどこでも古い。衣食住の「衣」を司っている以上、編み物や不織布(フェルト)と比べて圧倒的に単純な織物の自足が促されるのは当然だ。西陣しかり、博多しかり、桐生しかり、八王子しかり、織物産地はどこでも上古からの歴史を主張できるのだ。

    今出川大宮東入の西陣織物館前、現京都市考古資料館前の西陣碑

    中でも西陣は官機の流れをくむ。官機とは官営の織物工場のことで、律令制の時代は大蔵省の織部司と称する専門工場があったのである。やがて律令制は崩壊し、貴族が直接、織手を抱えるようになった。室町時代には「大宮の絹」「大舎人の綾」と呼ばれるブランド産品が製造されていたらしい。

    応仁の乱に由来する「西陣」発生以前に、こうした一見由緒正しい歴史があるにもかかわらず、西陣が555周年などと控えめな数字を主張するのはなぜか。丁度いい明確な区切りが他にないこともあるが、応仁の乱で、技術に断絶が生まれているからである。今の西陣の技術の系譜をたどるとすれば、応仁の乱以降は直系だが、それ以前はいわば血のつながりはなくて、養子に入ったようなものだ。

    そして今の西陣の高度な技術は、江戸時代に培われたものだ。元禄時代、消費生活の奢侈化と衣料需要の増加に牽引されて、日本は未曽有の好景気に沸き、町人を中心とする元禄文化のもと、産地である西陣と販売を手掛ける室町はこの世の春を謳歌した。今でも西陣の全盛期は元禄時代と言われている。ここから西陣はまた浮沈交代を繰り返し、明治時代に至る。

    江戸時代、三井越後屋の売り場。「現金掛値なし」「店売り」が特徴。三井グループの源流

    さて、ざっと江戸時代までの西陣の歴史を追ったが、この後、明治時代以降の西陣の過去を知るのに、使える資料は多くない。そのうち最も読みやすく、読みごたえがあるのが「西陣織物館記」だ。西陣組合の先輩である前田達三氏が著したもので、今、西陣が明治時代の組合史を辿れるのは、この本のおかげである。

    せっかくなので公開する。前提知識が要るから、所々で僕の補足も入れることにする。なお著作権は切れているので、安心してほしい

    序日

    本記は西陣織物館の履歴書であり、生立ちの記である。夫れが、其の母体である、西陣織物産業人の組合団体を管理する人物の、器量の大小、才能の深浅、誠実心の厚薄、エゴイズムの強弱と、ほんのちょっぴりの仁侠心の存否が、組合の成敗浮沈を決し。引いて此の織物館の隆替興廃を醸成せしめた明治元年以降九十年の歴程を記述したものである。乍然、本記は小説でもなけれ ば、物語り伝説でもない。唯事務上の書類の内容を、綴合せたに過ぎないようなものであって。 謂おうなら、事実調査書であり、事件の陳述書であり又証拠書類でもある。

    本記を年代により三編に別け、財産目録を附録とした。

    第一編は、明治元年から、明治二十六年迄に、幾度も西陣織屋の本山が、建立しかかっては出来ず。建立せられたと思ったら、忽ち消失してしまった陣痛時代※1が過ぎて。明治二十七年、同二十八年の組合主悩者達が傑物揃いで、一般に信望があり、卒先範を示したから。西陣織屋一人残らず、最低十銭から、最高百円に至る迄快く寄附金を拠出して、黒門通元誓願寺角に、組合事務所(会館)を建設した迄の事績※2を記述し。其後は明治三十年迄の運営状況を略記した。

    • ※1 明治時代、「西陣物産会社」「西陣織物会所」「西陣織物業組合」といった組合組織のようなものができたが、いずれも長続きせず、消滅した。
    • ※2 この時代にできた「西陣織物製造業組合」のとき、黒門通元誓願寺東入に西陣織物館の前身ができた。(ちなみに今の組合の丸西マークは、この頃すでにあったらしい)
    西陣の組合が代々受け継いできて、現在は西陣織工業組合のマーク。明治28年にはすでにあったようだから、130年以上の歴史がある

    第二編は、明治三十一年以後、昭和十三年迄の西陣織物館全盛時の要項を、摘記したものである。

    其間大正四年七月、現存西陣織物館が建設せられる際は、組長及役員に俊英があり、姉なる事務長を抱えながら、西陣織物業界に多数の反対者があつた。※3其内文書に、会合に反対を唱えたのが、当時の西陣織屋の学歴─大部分中等学校程度ではあるが─のある者であつたから。昔から雷同性のある西陣の事とて、全般的に悪影響を与え。建築設計が萎縮して、ギャラリー程度のものとなり、芸術味が欠けてしまった。其れでさえ宏壮大廈無用の長物だと罵しつた。眼孔狭短見浅慮、が今に災を残して居る。其れにも拘わらず、西陣織物館が京都新名所として有名になったのは。之れが運営に人物を得て、熱意と誠実により、着々効果を上げたからである事を大略記述した。又昭和十年には附属事務所の改築を断行した。此度は賛成者のみで、一人の反対者も無かった代りに。其費用は組合剰余金等を以て賄い、一切経費の増徴をしない、条件を以てしたから。寄附金の募集も行わなかった。建築設計及規模に関して議論百出。其為組合組長の原案と全々異るものとなり。頗る使用効率の悪い建物が出来てしまった。去りながら鉄筋コンクリート三階建は、其れなりに、爾後の組合事業に大きな効果を与えたことを記し。西陣織物同業組合解散に至る迄を以て本編を結んだ。

    • ※3 「現存西陣織物館」とは、いま京都市考古資料館として活用されている、今出川通大宮東入にある建物。大正4年竣工。

    第三編は。昭和十三年西陣織物工業組合設立から統制経済の概略。及び戦時転廃業の様相、西陣織物産地の荒廃、続いて敗戦被占領下の類落による、西陣織物館の危機と、之が保全に対する編者の施策、及昭和二十五年西陣織物工業協同組合解散前後の様相を、若干記述して擱筆した。

    編者が、長谷川西陣織物工業組合理事長数度の懇請により、同組合に就任したのが、此第三編起筆の昭和十三年七月である。編者前職の関係から、西陣の風紀はよく知つて居ても。其他の産業機構に付ては素人であるから。先ず「西陣研究」を読み。次で、「西陣史」と「織物常識」を昼夜通しての試験勉強。次に「西陣天狗筆記」と「西陣誌」の合本を精読した。最少限度之れだけの物の梗概を頭に入れて置かねば、諸官庁其他系統機関の諸会合に出席しても、口が利けないから、否応なしの勉強であつた。其上物価統制に基く公定価格の設定による、格付見本として、各級物業者が原価計算と共に提出した、全西陣織物の品種銘柄は、実物教育となつて。現時西陣織物の智織を、最大限にまでに、豊富ならしめると共に。西陣織物業者誰彼無しに逢うて、嫌でも其性格を知らねばならなかったが故に、織物業者も企及し得ざる普偏的な、西陣の土の匂いを身に付ける事が出来た。

    折も折、昭和十三年九月に、同工業組合理事会が、西陣織物館其他の財産を以て、公益財団法人設立の決議を為した際、列席して、織物館建設者達の真意を明確に把握することを得た。

    又、西陣織屋は昔から、時代と共に新陳代謝する。早よう謂えば、西陣の大機屋は三代と続かないとの諺がある。諸行無常は、あえて西陣織屋のみではない、他の産地も同様である。然るに、前線の負け戦さを挽回せんとする国策とやらで、西陣織屋は新陳共に軍工場に強制転業を命ぜられ。西陣地域杼校の音も、絶えだえとなつてしまった。誠に心細い事限りなかったが。織屋は亡びても、産地は亡びない。西陣織物産業は軈(やが)て復活し。往年の隆盛を見る時期の来ることを、確信した。そうなっても、西陣産地は中小企業工業者の集合地である事だけは、絶対に変らないから。是れが拠点、西陣織物館を失っては、早期復興は至難である。仮令(たとい)権道を用いても、 保全を計らねばならないと考え、之を実行したのであつた。

    一敗地に塗れて、山河国民総て虜囚となった。昔人は、「古来征食幾人か回る」と詠じたが、 西陣は終戦と共に旧業者がどつと帰来したり、新規の開業者で。一挙に戦前の倍数に昇る織物業者で溢れた。嬉ばしき現象ではあるが其処に数々のトラブルが発生した事を、本編に記述してある。

    昭和二十五年十一月十一日京都市会議長に、西陣織物館開館助成の請願をし、翌年二月十三日京都市会で之を採択し。高山京都市長からは、京都市の観光施設として同館の再開を希望し、経済局、観光局と協議の上実地踏査をして助成する旨の誠に好意ある通達を受けた。其以前三月二日、大林組から織物館全館の改装工事仕様書と同工事費見積額金三百六十六万六千七百三十円を提出し。万端の手筈良好に運び、経費調達方途も万全の策を施したに拘わらず。主脳者の頭の切り替えが出来ず、訳の判らぬ現象が生ずると共に。果ては法人格も無い同業会に、事務所と什器を占拠せしめ※4、清算を阻害し。明治初年からの西陣織物組合功労者、組長、理事長の肖像額全部を会議室鴨居から、引降し、之を破壊するの暴挙を為すに至らしめた。言語道断の不埒とは云え、西陣織物工業協同組合清算と織物館資産との微妙な関係から、事を荒立てるの不利を思うて、静観するより外はなかった。

    • ※4 今の西陣織工業組合の前身の一つ「西陣織物同業会」は、当初西陣織物館を事務所や展示等で使用したが、旧組合(西陣織物工業協同組合)理事等との意思疎通が十分でなかったため、大きな騒動を引き起こした。これについては過去ブログで少し言及がある。

    昭和三十二年六月に至り、西陣織物館及附属建物並諸財産に対する法律上の障害が除かれ。是等を建設した、功労者先輩の遺志を、達成し得るの時期に到達したことを認め、本記を編集するに至ったものである。

    編纂の当初の目次計画は、西陣織物館其他の資産中。特に織物参考品、古文書等は、詳細なる説明と、寄贈者の名及蒐集記録を掲げて、第四編とする積りであつたが、其れでは本記が浩瀚になり過ぎるので。昭和二十六年十一月一日既成の目録を其儘に、附録として掲げるに留めた。実は本記編纂の目的は此附録財産の保全にあつて前三編は其説明に過ぎないものである。 之等所蔵品の中には、天保以来の西陣織物史上、金銭に更え難い貴重な古文書がある。戦時被爆により編者が斃れたら、仮令焼夷を逸れても。一括の反故紙として廃棄せられることを憂いたが、幸に共に今日あるを得た。

    以上を本記編纂の序日とし。尚編纂の経緯若干を凡例に於て補述することにした。

    昭和三十四年十月二十五日

    於西陣織物館

    編者述

    (続きはこのページ

  • 文章は短ければ短いほど良い(駄文を避けるには)

    文章は短ければ短いほど良い(駄文を避けるには)

    僕は仕事柄よく文章を書くが、何かしらの申請文書とか、メールとか、通知文とか、機関紙の記事などの面白みのないものばかりだ。しかし、他人の文章を直す機会は少なくない。古くは家族の文化祭の出し物──何かしらの演劇だったと思うが、その台本に手を入れる依頼を受けたこともある。そしてしばしば文章をお褒めいただける。

    文化祭の写真。https://www.azabu-jh.ed.jp/schoollife/schedule/festival/より引用

    とはいえ、やっているのは全く大したことではない。その場面での言葉の使い方が適切か見るのと、いくつかのルールに従ってリライトしているだけだ。このルールの紹介は、手っ取り早く駄文を回避するには役に立つ。せっかくなのでお読みいただきたい。

    1.「ということ」は省く

    いらない言葉ランキングNo.1だ。5文字も使っているのに何も内容がない奇跡の言葉である。「こと」を除いた「という」が最もいらないので、ここが本質かもしれない。

    例を挙げると、「私は図書館の運営という仕事をしている。公務員ということである。」なる文章があったとする。最初の「という」は当然いらない。「私は図書館運営の仕事をしている。」でいい。「公務員ということである。」の「ということ」も不要だ。結局、「私は図書館運営の仕事をしている。公務員である」でよい。文章の情報を一つも落としていないのに、なんとなく洗練された感じがする。

    2.指示語は最小限に

    多用すると拙くなる。指示語は結局、前か後に出てくる言葉を承けて代用する道具である。指示語が1文に2回も3回も出てくるようなら、指示対象をちゃんと明記してあげた方が、読み手にとっても親切だ。指示語の部分をそもそも書かなくていい場合もある。句ごといらないかもしれない。削れるだけ削るべきだ。

    3.敬体と常体の混用は言語道断

    一発アウトの案件で、こんな暴挙に出る人が一人や二人ではないのが驚きだ。もはや説明不要だが、敬体/常体は文章のスタイルを決定する要素で、これの混用は、丁寧語で話していた人が突然ギャル語で喋り出すのと似ている。それはそれで面白いが

    ギャル語。https://iflyer.tv/article/2019/12/04/gal-trend-word-award-2019/より引用

    4.接続詞の多用は避ける

    文意の隔たりがそれほど大きくない場合──単純な順接とかの場合は、抜いても差し支えないだろう。実際に抜くかは、文章の力点がどこにあるかにもよる。

    「私は図書館運営の仕事をしている。だから、図書館の本なら何でも知っている」「私は図書館運営の仕事をしている。図書館の本なら何でも知っている」なる文章を仮定してみると、「だから」は要らないと感じるだろう。接続詞は抜いたほうが、読んだ際に余韻が生まれて、むしろ文章の格が上がる。読みづらくならない程度に手加減する必要はあるが。

    5.語の置く場所は係る語句の近くに

    語の置く場所も大切だ。ふつう文章を読むとき、文構造が確定するまで、語を頭に一時的に記憶して読む。記憶すべき分量が増えるほど、読みづらくなると言っていい。
    主語を動詞の直前に移動させる手法はよくやるから、覚えておいていいと思う。特に長々と意見を述べるときは、最後の方に主語を置くくらいでちょうどいいだろう。

    好立地からの景色。何事も適切な場所がある

    6.漢字が連続する場合はどちらかを開く

    読みやすさを考慮したらこれも大切な心掛けだと思う。たまにいちいち漢字を多用する人が居るが、読みづらい上に普通に馬鹿そうだからやめた方がいい。漢字を知っているだけで賢そうなのは小学生までだ

    ただし、やたらと開くのも僕は好きでない。いい塩梅を探して、適当に漢字を使うのが大切だ。動詞句、名詞句、副詞句などと、句ごとに境界があるけれども、その間の漢字や仮名は別種のものにすべきだ。こうすれば文章全体のゲシュタルトが保てる。

    7.、・「」()/n(改行)等を使ってリズムを整える

    読む側の目線に立てば、適当なところで読点なり句点なりが打ってあって欲しいものだ。しかしリズム上、読点も句点も、まだ打つには早い場合がある。

    この時に使えるのがカギ括弧だ。硬派な文章はどうしても長くなりがちだが、重要な名詞をカギ括弧で囲っておけば、そこで息継ぎができるし、文章にメリハリがつく。場合によって括弧でもよい。

    特に関係ない高機の写真。織機もリズムを刻んでいる

    おわりに

    内容のない単語は削除した方がよい。「個人的には」とか、「非常に」とか、なくても全く差し支えない場合は消そう。なくても前提として共有されているならば、わざわざ書く必要もなく、むしろ書いたら藪蛇だ。

    概して脳内に浮かぶ言葉をそのまま出力すると、駄文になりがちだ。文章は短ければ短いほどいいので、特に意味のなさそうな文章は思い切って丸々削除するべきだ。

    「文は人なり」なる言葉がある。さすがに言い過ぎの感はあるが、少なくとも、「思考が明晰な人は明晰な文章を書く」くらいは言っていいと思う。「ということ」とか指示語、無意味な句を多用する人は、思考が整理されていないのだ。自分で書いていて耳が痛いが、初校はそんなもんだと割り切っている

    タイトルの通り、文章は短ければ短いほどいい。だが、いちいち文章を切って短文にして、超短文を10も20も並べるのが良いとも思えない。意味のない言葉を徹底的に削除しつつ、より短い表現があればそっちに差し替えるのが、手段として本道だろう。リズムも考慮して、ちょうどいい長さの文章を並べるのがベストだ。

    文は人なり。「ふみはひとなり」だと思ってましたhttps://imidas.jp/proverb/detail/X-02-C-28-A-0006.htmlより引用
  • 学生の街は一面的な見方にすぎない(大人の京都は面白い)

    学生の街は一面的な見方にすぎない(大人の京都は面白い)

    京都は学生の街と言われます。「退屈をかくも素直に愛しゐし日々は還らず さよなら京都」との有名な句はそれについて読まれたものであり、京都を離れる学生の郷愁を表している、とされます。(ちょっと調べた感じ、このブログが端的に表現されていてよかったです)

    鴨川は京都の青春の象徴とされる。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47728320U9A720C1AA1P00/より引用

    学生と社会人について、京都でよく言われるとされ、実際に僕も言われたのは「京都では学生さん、社会人と呼び分けんねん。学生は『学生さん』でお客さんやけど、『社会人』は違って、『さん』がつかない」この文句である。

    これは京都の持つ多面性をよく表していると思います。他の都市と同様、京都も広く大きい。学生程度が把握しきれるほど浅い町ではないことはご承知置き頂きたいと思います。だから「京都は学生の街」との一面的な理解は捨てて、大人になって、出世してからまた来てもらえば、また違った側面をご覧いただけるでしょう。

    一都市として見る京都の姿は、さすがと息をのまざるを得ません。大人の京都の面白さについては、僕がブログで紹介しているような歴史を始めとして、美術・工芸・歴史・宗教・文学・建築・商業・工業等々と多岐にわたり、語りつくせるものでもないし、そもそも僕では力不足すぎることを承知の上で、あえて簡単に説明してみます。

    1.歴史

    これは言うまでもありません。が、深入りするのに一番敷居が高いのがこれかもしれません。京都は1200年の歴史があるだけあって、歩くだけで楽しめる街でもあります。知識に対するリターンが一番大きくなる街といってもいいかもしれません。深い知識を入れようと思ったら、相応に骨が折れますが。

    基礎知識として入れておくといいのは、平安京の町割りです。これと、これの周辺知識を多少入れておくだけで、他の吸収率がずいぶん違うと思います。京都の歴史本は無限にありますから、あとは好きなものを読んで、好きなところを歩けばいいでしょう。これで京都を楽しみ放題です。

    平安京の町割り。http://ktymtskz.my.coocan.jp/D/ooedo6.htmより引用。

    2.食事

    第二は食事です。京都は出汁が美味しいです。出汁以外も結構おいしいが(肉の調理とか)、結局のところ、京料理のおいしさの8割は出汁のおいしさです。

    お出汁の写真。https://odashi.co.jp/household-use-dashi/より引用

    京料理の本領は懐石といわれますし、もちろん値が張るだけあっておいしいです。懐石でおすすめの店を挙げるとすると、上七軒のおかもと紅梅庵とか、富小路六角下がるの要庵西富家西陣郵便局の裏の西陣魚新とかだろうか?特に要庵西富家は本当においしいと思います。懐石の相場は、安くて1万円程度、高くて8万とかだと思うが、その中で一人4万円程度なのは安いといえば安いと思います。隣のやま岸より安いですし。

    要庵西富家のホームページ。料理がおいしいのはもちろん、宿としても一流で素晴らしい

    なお、懐石は本当にピンキリです。例えば5,000円~6,000円くらいの懐石(?)は外れが多いので注意が必要です。あと海鮮は正直東京の方がおいしいです。

    3.工芸

    京都は工芸の都です。元禄時代に頂点を迎えた京都の工芸は、今でも日本の諸技芸の本場であって、いくらでもこだわりたい諸兄にはピッタリです。これは過去にも引用したけれども、

    京都は日本における諸技芸・製造・貿易の本場であって、京都の製品は全国に著名にして、京都にて作れりしと云へば、人はさあらぬものよりは優越なりと認るなり。(ケンぺル「日本誌」)

    なのです。

    西陣織にも多くの品種がある。最高級品だけあって当然意匠・風合いともに素晴らしいものが多いのだが、ピンキリでもある分相場が形成されづらく、買うのが難しい側面もある

    きものが好きな人なら室町・西陣を訪問したいと思う人もいると思いますが、きものを深掘りするのは結構難しいから、僕に連絡するか、他に探すかするといいと思う。
    ともかくどこかの小売店・問屋・メーカーの上客になるか、その道に就職するかのどちらかしかありません。これは呉服に限った話ではありませんが。

    焼き物ならいわゆる京焼ですが、焼物なら五条坂周辺の店がいいでしょう。小売店なら竹虎堂朝日堂あたりがおすすめかもしれません。陶磁器会館もいいです。それと、夏くらいにはメーカーが販売会をしていますから、このタイミングで買うのもいいでしょう。前は私もたまに買いに行っていました。

    (懇意にしている小売店の人にメーカーの販売会の話をしたら微妙な顔をされましたから、そういうことなのでしょう。メーカーと流通の関係は何処の業界も変わりませんね)

    陶磁器会館の写真。http://kyototoujikikaikan.or.jp/guide/access/より引用

    とにかくこの街は、一定程度までは来るもの拒まず・去る者追わずですが、仕事をするにあたっては、キッチリ腰を据えて取り組まなければなりません。舐めた仕事をしては駄目です。ツイッターでは「モラトリアムの具現化」などと面白い評価をされていますが、学生に限った話なのは言うまでもありません。

    おまけ

    さて、本ブログの主要な題材は西陣・西陣織、あるいは室町も含めた染織産業の歴史である。そして西陣の歴史で一番面白いのは、明治から昭和までの組合史だと思います。せっかくなので今回は、かつて西陣にあった広報誌「西陣織たより」第一号(昭和26年発行)に載っていた文章を掲載しておく。ここに出てくる「西陣織物同業会」とは現在の組合の直接の前身である。

    西陣織物館の写真

    西陣と金融

    第一銀行西陣支店 支店長 加藤光一

    わが西陣に機業界を代表し業者の總意を結集し、業界の進步發展の爲めに必要な事業を行う機關が存在しなかつたと云うことは、洵に不思議なことでありましたが、此の度西陣織物同業會が設立の準備を完了し、菊花薫る仲秋の佳日に新發足せられましたことは、真に御同慶に堪えないところであります。多くの困難を排除して此處まで事を運ばれた理事者各位の勇氣と御苦心に對し、またさしあたり經濟的な利益の期待出来ない同業會に卒先參加せられた會員各位の熱意に對し、深甚の敬意を表する次第であります。

    西陣は千年の歴史を有する我国最古の機業地であり、傳統の精巧な技術を有し、製品は帶地、着尺、金欄、ビロー ド、廣巾織物等多種多様に亙ること、生糸は元より人絹、 化纖、毛糸、麻糸、綿糸等あらゆる繊維が原料として使用せられていること、生產行程が極度に分業化せられ、此の分化された業種毎に多数の業者、多様の業態の存在すること等内地の機業地に比較し得るものがありません。

    由來產業と金融は車の兩輪の如きものでありまして、上記のような機業地としての特色は自ら金融の面に於ても幾多の特異な様相を呈することとなるわけであります。西陣の金融に関与している機関には、銀行、信用金庫、商工中金、無尽会社等本来の金融機関の他に生糸商、買継商(所謂上仲買)、室町筋の問屋(所謂下仲買)或は府市の直接又屋、糶市(せりいち)等迄時と場合によっては相当の役割を果しております。

    銀行について簡單に申しますと、西陣の中心、同業会の事務所のあります今出川大宮界隈に軒をつらねる銀行が八行九店舗、之に一信用金庫が加わって十店舗で土曜會と云う連絡機關をつくつて居ります。此の土曜会メンバーの銀行の預金は二二一二億、貸金は一七一八億位と推定せられるのでありまして貸出の約八割は機業とその関連産業に対するものであります。貸出よりも預金の方が多いようでありますが、西陣の機業に闘する限りでは貸出は預金を可なり上廻り所謂オーバー・ローンの形になつていることは明かであります。右の土曜會メンバーの銀行の他に廣く西陣地區には、銀行の店舗が一〇、信用金庫の店舗が四、無尽会社の営業所が数ヶ所ありまして之が直接間接に機業の金融にたづさわっているわけで、一機業地にかくの如く多種多数の金融機関の営業所を有しているところは何処にもありません。

    よく局外の人は西陣は古い、あらゆる面でもつと新しくならなければいけないと無責任に言つてのけますが、西陣は千年の風雪に耐えて今日の形態にたどりついたものであり、今日の西陣は一見複雑怪奇で、舊套依然たるものがあるようにみえますが、また新興の機業地に見られない強靭な底力があって、今迄幾度か西陣の危機を叫ばれながら立派にそれを乗り切つて生き抜いて来、今日内地の機業地の中にあって尤も健全なものに数えられているのには、それ相当の理由がなければなりません。元より新しい時代の威覺をとり入れ、現状を改善して行く工夫努力を怠ってはなりませんが、それかと言つて傳統を忘れ一塁に革命的な改革を行うことは、角を矯めて牛を殺す愚に均しいのではないでしようか。西陣の機業と金融は車の兩輪の如くどちらが進みすぎても遅れすぎてもいけない。同じ速度で着實に前進することこそ西陣を健全に發展に向わせる原動力と信じるのであります。

    (太字部分のみ新字に直した)