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西陣織物同業組合沿革史(6)

一二、販路擴張と宣傳事業

販路の擴張に資すべき製品の紹介宣傳事業は、産業團體の最重要事であつて、既に組合創立當時に於てさへ、組合當局はこれが實施に就て、相當の努力を爲し來つたところである。即ち各地に於て博覽會共進會等の開催される場合、西陣製品の紹介宣傳は、決して問屋仲買にのみ一任するが如きことなく、組合員を督勵して大に出品の斡旋を爲し、またしばゝゝ役員其他の委員を派して、地方の趣味嗜好並に購買力を検討する等、時代相應の努力は講じ來つたのであるが、元來宣傳といふ譯語の發生したのは大正の中葉以後に屬し、從つてそれまでの所謂宣傳事業を後年より回顧すれば、尙幼稚にして甚だ消極的であつたことは勿論である。

然るに歐洲戰亂の末期より、時代の推移は地方機業地の強力なる進出を見、しかも彼等の製品は、しばゝゝ西陣製品と混同せられ、或は公然西陣製品を名乗る物さへあつて、到底西陣より高く、宣傳の消極に堕するを許されざるに至つた。斯くの如くにして所謂宣傳の本格化したのは、大正十五年三越と提携して、同年大阪支店及神戸分店に初めて西陣織物大會を開催し、直接阪神の消費者に對して、眞の西陣製品を認識せしめ、豫期以上の成功を収めた爲め、三越では更に翌昭和二年秋、東京本店に第一回西陣織物大會の開催を提唱し來り、組合も直ちに應諾、十一月一日より七日まで、同賣場中百九十坪を會場として華々しく開催し、畏くも高貴の御微行の光榮を擔つたのみならず、會期七日間には一日の紋日、初めての明治節たる三日、六日の日曜等すべて快晴に恵まれて非常なる盛況を呈し「西陣織物と京名所」なるパンフレット一萬五千部、大會繪ハガキ二萬部は會期半ばに出切となり、一口に二十二本の丸帶を購求したる外人等も現はれ、關東各地の宣傳會には未だかつて類例なき大成功を収め、翌三年引續き三越に於て第二回西陣織物大會を開催して大に盛況を極め本邦第一の西陣織物消費地に於て、眞の西陣を充分に認識せしめた。この東京宣傳の成功は、後年帝都各百貨店界の流行兒となつて直接消費者へ叫びかけた外、一面には東京問屋による西陣織物聯盟主催組合後援の西陣織物大會となつて、關東各地前賣店の奮起を促す基ともなつたのである。

一方地もと京都に於ては、大正十五年以来澎湃として起つた積極宣傳の波に乗り、西陣織物商組合主催の西陣織物宣傳大會を數年に互つて協賛し、また同年より行はれた京都染織見本市を連年後援して、會場に一大異彩を放たしめ、或は組合單獨の主催としては昭和三年九月 御大禮記念西陣織物大會を京都勸業館に開き、翌十月より十二月にかけては織物館の全館を會場として 御大典記念西陣織物展覽會を催し、昭和七年二月には買繼制度實施記念片側繻子宣傳特賣會を同じく織物館に開く等、地方前賣界に對して大に呼びかけるところがあつたが、いよいよ本格化したのは、昭和七年九月、組合主催を以て第一回西陣織物大會を京都市勸業館に開催したことで、同年六月十五日部長聯合會より劃期的西陣織物宣傳大會開催の要請書が組合長に提出せられ、同月二十七日の組合會に於て、大會經費七千圓の追加豫算は評議員會及組合會に於て全會一致にて可決、七、八兩月に亘り委員会の設置、事務の分擔、京都府、市、商工會議所に對する後援方並に補助金交付の請願、全國及海外にかけて四千餘の招待狀を発送する等、大會の準備全く成つて、九月四、五の兩日京都市勸業館を第一會場、加盟四十四問屋の店鋪を第二會場として華々しく開催した。時恰も八月下旬より北米財界の好況を反映して重要諸商品、特に生絲、綿絲の躍騰といふ伴奏あり、著しく環境に恵まれ、來市者實に三千を越え、これを優待する五日午後五時からの鴨河原の夕涼みは

「延暦聖世の跡つぎて、代々を重ねし織物の、その品々は何々ぞ、金襴金段綾錦、雲居に響く機杼の音……」

の振りも床しき西陣舞や、

「つれれさせせきぎりす、松虫鈴虫機織に、こゝもゆかりの紫野、何處やら遠き筬の音は、雲漏る月に背け振り、夜長を誰かギッチョンゝゝ」

など此のため新に作られた西陣小唄に興趣湧くが如く、同時に宣傳そのものも著しく良好の成績を収め、三百萬圓に近き取引高を計上し、これを最初として、強力西陣の全國前賣に對する宣傳陣は儼として張り廻らされ、爾來西陣織物大會は

回数年月日第一會場加盟商店來市者取引高
第二回昭和八年九月四・五兩日京都市勸業館三八店一、〇二一人一、九九〇千圓
第三回昭和九年二月六・七兩日京都市勸業館三三店九六五人一、七三四
第四回昭和九年九月四・五兩日京都市勸業館三四店一、六八三人二、三九五
第五回昭和十年二月七・八兩日京都市美術館三一店八一九人二、〇四一
第六回昭和十年九月四・五兩日京都市美術館三三店一、五七五人二、七五八
第七回昭和十一年二月七・八兩日京都市美術館三二店一、一〇二人一、八七三
第八回昭和十一年九月四・五兩日京都市美術館三五店一、六六八人二、六四八千圓
第九回昭和十二年二月五・六兩日京都市美術館三〇店一、三八二人二、三三七
第十回昭和十二年九月六・七兩日京都市美術館三三店一、三六二人一、五八八
第十一回昭和十三年二月七・八兩日京都市美術館三〇店一、四一〇人二、二六八

註。第一回より第三回までは本組合單獨主催、第四回以後は西陣着尺織物工業組合との共同主催來市者の數は招待したる商店の店主又はその代理者を示し、随員として來市したる番頭・手代等を含まず

と毎年二回、春夏物及秋冬物の取入期たる二・九兩月を以て、上記の如く連年開催し、西陣織物の精華を網羅するは勿論、會場には、或は特殊優秀品の競技會、或は製織の實演等を試み、また來市者に對する優待としては、毎回小餐を呈するの外、西陣織物又は織物を應用したる記念品を贈り、毎回多きは參百萬圓、少きも百五拾萬圓の取引を見たること感謝の印とし、第十二回以後はこれを西陣織物工業組合及着尺組合の共催に譲つたのであるが、これが齎した効果は、ひとり當日の取引額に現はれたるもの以外、將來に亘つて西陣製品消化の上に絶大なる反響を呼び、本組合員の共同福利を増進したるのみならず、本邦服飾界に於ける最大級の行事として、地方前賣店の待望するところとなつてゐる。

此の外組合として間接に關與したる宣傳會、即ち帶地部・金襴部・天鵞絨部・新興輸出部等夫々當該部独自の機構と立場によつて、しばゝゝ宣傳會・特賣會・展示會等を開催し、組合に於ては所定の機關を經て、それが成果を擧げしむる爲適當なる援助を爲し來つたが、就中昭和十年以後しばゝゝ開催したる、神戸及横濱に於ける西陣新興輸出織物展示會の如きは、洵に前人未踏の境地を開拓したもので、ひとり兩市の貿易商のみならず、汎く海外にまでその反響を聴くことが出来たのである。

更に見上記の如く前賣店に對する宣傳以外、直接消費大衆の耳目を目標とする宣傳特賣會も、既記東京に於ける昭和二年秋の宣傳會以来本邦各都市の百貨店を會場としてしばゝゝ行はれ、特に昭和六年七・八兩月、從前地理的に専ら關東各機業地の蹂躙に任せられたかの感があつた、北海道札幌・小樽・函館に各十日間、室蘭・旭川各五日間に亘つて開催したるが如きは、その反響の大なる、まさに特記すべきものがあつた。

其他内外各地に於ける博覽會・共進會・見本市・展示會等の開催さるゝ場合は、組合員をして可及的多の出品を爲さしむべく、部長聯合會と提携して、諸般の手續及び事務を取扱ふは勿論、出品に關する費用の全部を組合に於て負擔し、極力目的の達成に努め、一面西陣織物の需給状況並に國内各機業地の生産配給状態等を調査して、西陣製品新販路の開拓と、製織上の參考に資する等、組合員の福利増進に寄與するところ、甚だ大なるものがあつた。

一三、西陣信用組合の設立

産業と金融とは車の兩輪であつて、その一を缺けば他の一方は事業として全く成立しない。西陣に於ても取引の改善、製品の向上は、所詮その根本は金融機關の協力と後援なくしては、充分の達成を見難いのは自明の理である。この見地から、有限責任西陣信用組合は西陣織物同業組合が母體となつて、大正十五年十月に創設された。當時はもとより、明治の晩年以来、西陣には既に有力なる金融機關が多数に存在し、殊に東西の大銀行は殆んど大部分が軒を並べて、こゝに支店網を張つてゐたのであるが、しかも尚中小工業者の集團たる西陣の機業組織、製品種別、取引方法等と關聯して、有力銀行の對象物としては兎角緊密化し得ざるものがあり、多數の組合員にとつては、寧ろ描ける餅の類に過ぎなかつたのである。よつて組合員の共存共榮と相互扶助の立場から、何等他力を藉らず、自らの力によつて手軽く利用し得る金融機關を持つことが出来得れば、その資金は他の地方に移動することなく、一面不況時に於ける從業者救濟問題等に備ふべき貯蓄の獎勵ともなり、洵に一石二鳥の方法であるとして、當時組合内に於ける西陣振興調査會の進言に基き、こゝに西陣信用組合は、眞に西陣化したる特色あるものとして誕生せしめらるゝことゝなり、大正十五年五月二十三日組合事務所に發起人會を開き、小委員として組合役員・組合會正副議長・團體聯合會幹事・組合顧問等二十三名を推して準備を進めた結果、六月八日の發起人會に於て、定款五十六條及び役員詮衡委員を選定し、八月二日組合長以下役員の登記を見、九月一日設立認可、同年十月十五日を以て、今出川大宮東入新事務所に於て華々しく開業の運びに至つたのである。其後十有二年、その間多少の起伏はあつたが、元來組合を母體としたものだけに、信用組合當事者にとつても西陣機業の性質には充分の認識があり、その信用状態も明確である關係上、信用組合が順調なる進路を辿り来つたのみならず、これによつて、或は織物消費税納入手續が簡易化され、或は資金の融通が迅速となり、また組合員に於てもこれを利し組合に於ても産業積立金の利殖を一任する等、相互極めて緊密なる關係を持續して、以て本組合の解散時に至つた、また組合個人としても、一部の業者にして所謂高利貸に惱まされるものゝ著しく減少したことは、大なる福利とすべきものである。

 尚西陣信用組合は、昭和七年二月名稱を有限責任西陣信用販賣購買利用組合と變更し、購買事業をも兼營したが、昭和十年三月購買事業を分離獨立せしめて、再び信用事業單一に還元した。

因に同信用組合創業直後(昭和二年度末)に於けるその組合員は七百三十九名で、此の中工業者、即ち主として本組合員たりしものは六百名で全體の八割一分を占め、本組合解散の昭和十三年三月末に於ける信用組合員の總数は千百四十名に増加し、此の中工業者、即ち主として機業家は七百八十八名と全體の六割九分とその率は稍低下してゐるが、機業者以外の商業者二百一名、其の他百五十一名もその大半は西陣機業と密接なる連關を有する商家又は俸給生活者等であり、機業家あつての西陣信用組合たることには些の變動はない。

 尚昭和二年度末と、昭和十三年三月末に於ける、同組合の預金及貸出を示せば次の如く、預金は三倍二七、貸出は四倍七三と、何れも順調なる増加を示してゐる。

昭和二年度末昭和十三年三月末
預  金六一五、三五六圓二、〇一三、九一七圓
貸  出三五八、三二六圓一、六九五、二八八圓

一四、登録團體標章の設定

 西陣織物の豪華絢爛は、海外にまで喧傳されるものであるが、組合員の生産する織物に就ては、昭和年間に至るまで、何等西陣製品たるの證明がなかつた。蓋し我が西陣の技巧は、明治大正年代まで絕對に他の追隨し得ざるところであり、他産地製品との鑑別は、素人たる消費者も容易に認識し得たので、敢て必ずしもその證明を必要としなかつたのである。然るに歐洲大戰中の好況時より、各地織物工業の飛躍的勃興につれて、同種製品の進出次第に増加し、傳統と由緒ある西陣製品が、他機業地の製品と混同されてその聲價を失墜すること甚だ尠からざるに至つた爲め、これが鑑別を一般的に容易ならしめ、且つその聲價を堅持すべしといふ意見は、大正十年の頃より特に他機業地と混同せらるゝこと多き着尺業者の一部に於て唱導さるゝに至つた。しかしてこれが解決は遂に大正十五年一月二十九日の組合會に於て、組合定款に五ヶ條の追加が議案となつて現はれた。即ち

一、本組合は組合員の營業上の共同利益を増進する爲め團體標章を制定す
二、本組合の團體標章は特許局に於て登録を受けたる標章とす
三、本組合は自己製造又は販賣に係り組合地區に於て納税する織物に付前條の標章を使用することを得
四、本組合員にして前條の規定に違反し團體標章を使用したるものは五圓以上五百圓以下の過怠金に處す
五、團體標章の侵害に因り組合員の損害ありたるときは其の損害及補償方法は評議員會の議を經て組長之を定む

が可決せられ、定款の變更は同年四月十六日付知事の認可を得、直ちに商標法に依り登録を申請して、昭和三年八月二十五日特許局に登録せられ、昭和四年四月より、次の如き團體標章を實施し、以て今日に至り、西陣製品たることを市場に證明してゐるのである。

因に右團體標章は、

一、絹織物に使用するもの
二、木綿織物に使用するもの
三、毛織物に使用するもの
四、麻織物に使用するもの
五、上記に屬せざる織物に使用するもの

の五種となつてゐるが、右標章は第四章組合解散當時の機構に於ける定款第十一章團體標章の項を參照せられたい。

 同時に生産地の證明、並びに品質の證明に使用する證紙及印章を制定したが、これに貼付又は捺印する形式は、第一種生産地證明に使用する證紙及印章の二種と、及び第二種品質證明に於て

一、絹織物に使用するもの
二、木綿織物に使用するもの
三、毛織物に使用するもの
四、麻織物に使用するもの
五、其他の織物に使用するもの

の證紙及印章夫々五種づゝ、合計十種に分たれてゐるが、これは前項標章と同じく本史第四章に於ける、定款第十二章證紙印章及織物生産地竝品質證明の項を參照せられたい。

一五、部制度の確立

由來西陣織物は其の種類頗る多種多様であつて、販賣の方法、原料の取引等、軌を異にするもの多く、從つてこれが進展を期するには、勢ひ業態を等しくするもののみによつて部制度を布き、或る程度独自の自治に委ねるを以て理想としたことは、既に組合創立最初の定款に於ても、十六部の部制を布いてゐるによつて明瞭であるが、當時は組合夫れ自體に於てさへ向自治の體驗に乏しく、幾多の苦難があり、况んや部の自治といふが如きは、單なる理想に過ぎなかつた。然るに時代の要求は、遂に三十年の後に至つて理想と實際との合一を見、その集團的事業は組合の手によつて行ひ、部分的な事業は各部に於て独自の機構と理想とによつて行はしむる、完全なる部制度が確立されるに至り、昭和二年十二月の組合會に於て可決され、翌年二月十七日を以て認可を得、三月より實施されたものが、次の九部制であつた。

部名類 の 織 物 業
一、紋廣部唐織・絲錦・厚板・繻珍緞子・縮羅・絽・紗・博多・綴織の廣帶地・肩裏地・帛紗地
二、着尺部御召・明石・上布・平着尺・袴地・縮紬・其他の着尺織物業
三、片側部博多綴織の九寸帶地・男帶地・單帶地類・其他九寸巾以下の帶地織物業
四、繻子部繻子帶地・繻子袴地・伊達巻地・細帶類の織物業
五、金襴部金襴・袈裟地・法衣地・式衣地・表具地類の織物業
六、天鵞絨部天鵞絨・別珍類の織物業
七、傘服地部洋傘地・肩掛地・シール・モール・服地・服裏地・リボン・ネーム・シャツ衿地・細巾装飾地・生繻子・生綾類の織物業
八、輸出部輸出織物・チヨツキ地・襟飾地・窓掛地・卓子掛地・椅子張地類の織物業
九、雜種部前各部に属せざる織物業及紋様・霞業

斯くて各部には夫々部長一名、副部長及部會議員若干名の役員議員を置き、部會の職務權限として

一、其の部に属する諸般の事項を調査研究すること
二、組長の諮問に答申すること
三、組長、評議員會、組合會に建議すること
四、業務施行に必要な其の部諸規程を制定し又は變更すること
五、其の部に属する經費豫算並に賦課徴收方法の議決及經費決算業務成績の認定を爲すこと
六、前各號の外部長に於て必要と認めたる事項

と定め、茲に組合は細胞組織を完整し、爾後各部は部独自の立場から、各種の事業特に宣傳會・展覽會・競技會等の事業を爲し来り、昭和六年十月、新に買繼制度の實施により買繼部を増置して十部と爲し、更に昭和八年單獨に工業組合を結成したる着尺部の削除其他各般の實情に即し、昭和九年四月一日より、これを全面的に改廢して以て解散時に至つた。

昭和九年四月の改廢は、經濟界の實勢に即應したもので、即ち從來帶地製造者は、丸帶を主とする紋織系統、博多を主とする帶側系統、及繻子を専業とするものの三系統に分たれ、夫々独自の形態を以て、生産業者から市場を経て消費者の手に渡つたのであるが、經濟界の推移は、これを問屋側から見ても専業の形態による發展は不可能となり、大規模且つ多角的經營の行はるゝに至り、これを生産者の方面よりするも、從來の如く或は博多専業、或は丸帶専業たりし當業者も、次第に時勢の動きに順應するため、製造方針を固定することなく、時の流行嗜好の變遷に伴ひ、時に丸帶、時に袋帶と、その製品を轉化して、生産經營の多角化とその合理化を圖るに至つたのである。よつて從來の紋廣部・片側部・繻子部を併合して單一の帶地部と爲すと共に、将来輸出織物として發展の可能性ある傘服地部、及輸出部を合同して新興輸出部とし、雜種部に包括された織物業者を、紋様箴業者より分離して新興輸出部に併合せしむる等、全面的に改組して、以て解散當時にまで至つたのである、即ち左の如し。

部名概要
一、帶地部帶地・肩裏地・帛紗地類の織物業者
二、金襴部金襴・袈裟地・法衣地・式衣地・漢東緞子・表具地類の織物業
三、天鵞絨部天鵞絨・別珍類の織物業者
四、新興輸出部前三部に属せざる織物業
五、買繼部買繼業
六、紋様・箴部紋様・箴業

一六、西陣産業資金積立制度の實施

西陣は由来中小工業者の集團である。中小工業の最大缺陷はまさしく資力の弱少にあつて、資本の充實せざる事業は、榮養に缺陷ある嬰兒に等しく、到底健全なる發展向上を望み得ざるのみならず、一朝不況時に際會せんか、業者は忽ち斷末魔の苦境に喘ぐの惧れを多分に包藏する。よつてこの缺陷を除去し、且つ勤儉貯蓄の精神を作興して、共同利益の増進を圖る目的から設置せられたのが、西陣産業資金積立制度であり、昭和五年三月十八日の組合會に於て可決され、同年四月一日より實施を見たものである。

西陣産業資金積立規程は十三ヶ條、同施行細則は十六ヶ條より成つてゐるが、いまこれを要約すれば

イ、組合員は織物消費税納付の際その税額の一割づつを同時に積立てる
ロ、積立金は各自の口座により預金し組長が管理する
ハ、利子は年二回づつ計算して元本に繰入れる
ニ、積立を開始して三年を經過すれば元利を合して「産業資金」なる名義の下に本人に交付する
ホ、途中で組合を脱退したる時又は死亡したる時は元利合算の上本人又はその遺族に返還する
ヘ、積立金は二十一人の監事がこれを充分に監督する

といふ制度であり、後年支那事變の聖戦遂行に伴ふ國民貯蓄の奨勵により、各地に無数の貯蓄組合が結成せられたが、西陣に於ては、それに先立つ八年前に於て完全なる貯蓄組合が創設せられてゐるわけである。

而してその第一期は昭和八年三月末日を以て満了し、その積立金五十六萬五千餘圓は、産業奨励金として組合員に交付され、三ヶ年間知らず識らずの間に蓄積せられた積立金は、更めて事業の擴充資金となり、或は旧債の償還となつて現はれた。

引続き昭和八年四月一日より第二期に入り、昭和十一年三月末日を以て滿了したが、元利合計四十五萬七千餘圓中、利子に該當する一萬九千八百餘圓を財源として、金二萬圓を組合會の決議によつて、当時復興改築中の京都市勧業館建築費の中へ寄附せられ、更に昭和十一年四月一日より開始された第三期の期間中、即ち昭和十二年七月支那事變の勃發するや、組合は他に率先して八月九日組合會を開き、規程の一部を改正し、同期の利息中より金一萬圓を國防献金として、八月十一日第十六師團司令部を経て献金したのである。本積立金は第三期の満期を待たずして組合の解散となつたが、一種の備荒貯蓄としてのこの積立金制度は、よく組合員に了解されて本来の目的を達成したるのみならず、併せて或は國家に献金し、或は公共團體に寄附となつて現はれたことは、まさしく産業と道徳との渾然たる融合であり、産業報國の實踐であつて、就中昭和十二年の如きは、時局の重壓下にあつた平和産業組合として、眞に苦難を超越した日本精神の發露ともいふべく、この制度は西陣織物工業組合によつて永く繼續され、西陣産業發展の一推進力を爲すと共に、一面亦産業報國の眞精神となるべき制度として残されるであらう。

因に上記本組合の國防献金に就ては、昭和十二年十月一日付、下記の通り陸軍大臣より感謝状を贈られ、また京都市に於ては、上記勧業館に對する本組合の寄附に就き、市の都合により少しく遅れたが、昭和十三年四月二十九日 天長の佳節をトして、本組合を京都市篤志者として下記表彰狀を添へ篤志者徽章を贈られた。

感 謝 狀

國防資材ノ獻納ヲ辱ウシ感謝ニ堪ヘス 茲ニ深厚ナル謝意ヲ表ス

昭和十二年十月一日

 陸軍大臣 杉 山  元 [陸軍大臣之印]

京都市上京區今出川大宮東入  西陣織物同業組合員一同   
代表 長谷川市三殿

表 彰 狀

西陣織物同業組合殿 貴組合ハ昭和十三年三月本市公益ノ爲メ金貳萬圓ヲ寄附セラル其ノ篤行洵ニ顯著ナリトス 仍テ本市篤志者表彰規程ニ依リ篤志者徽章ヲ贈呈シ以テ之ヲ表彰ス

昭和十三年四月二十九日

京都市長從三位勳三等 市 村 慶 三 [京都市長之印]

一七、西陣振興調査會と本組合の諸事業

西陣振興調査會は、西陣織物同業組合の事業ではなかつた。昭和四年十二月、時の京都府知事佐上信一氏は、西陣機業が千年の輝く傳統に培はれつゝ、しかも同時にその傳統の桎梏に累ひされ、漸く他の新興機業地の進出により、時に脅威を受けつゝあるの状態を呈せるを嘆き、抜本塞源的更生策を樹立して、京都府随一の産業をして大に興隆せしむべく、事務所を府廳内に置いて、自ら會長となり、副會長に京都市長、及京都商工會議所會頭を囑し、更に委員として府・市・商工會議所の主腦部、府・市會議長、京都帝大・京都高等工藝・京都市染織試驗場等の學者技術者、並に機業家・卸問屋・百貨店等三十名の學識經驗者を動員し、眞に官民を打つて一丸とする府の一大産業政策として設置せられたもので、委員中には本組合關係者として正副組合長・顧問等八名が囑託せられて員に列した。斯くて西陣織物の生産・販賣・金融等全面に亙つて會長の諮問に對し、委員は六ヶ月餘の愼重審議を重ねた結果

一、原絲の購買
二、生絲檢査
三、生産技術及意匠圖案の獎勵 
四、製品の標準化 
五、製品檢査 
六、同種機業の合同整理 
七、準備工程及仕上整理 
八、力織機の普及 
九、輸出の振興 
十、製品販賣機關 
十一、取引方法の改善 
十二、西陣織物組合の擴充 
十三、金融の改善と貯蓄 
十四、組合の統制

等につき夫々適切なる答申を終へた。此の結果組合に於ても更に諸機關に諮り、自力爲し能ふるの改善は着々遂行し、既に實行せるもの、擴大強化はもとより、原絲正量取引の勵行、大衆向工業織物の指導、意匠圖案の研究獎勵、製品の標準化と製品檢査の實施、産業組合(利用組合)の設立獎勵、力織機の普及獎勵並に買機制度の實施等、各般に向つてその實行を進め、中には不幸にして理想と實情との不即により龍頭蛇尾に終つたものも無いではなかつたが、その多くは明日の西陣機業振興の警鐘となつて現はれたのである。此の中特に重要なるものに就ては、以下項を分つて記述する。

一八、産業組合設立の獎勵

時勢の進展に伴ひ、中小資本家の力を團結して、資本の合理的運用を爲さしむることは、中小工業者の集團たる西陣として忽諸に附すべからざる施設なりとは、上記振興會の答申中に示されたところであつた。よつて組合は昭和五年六月「産業組合設立獎勵規程」を制定、この答申案に基きその助成に力を致した。産業組合法に準據するもの、中、既設の信用組合を除き、購買組合(共同購入)、販賣組合(共同販賣)、利用組合(共同事業經營)等を對象としたもので、組合より獎勵金交付の制度を採り大に勸獎した結果、實施後僅かに一ヶ年間にして

一、表裝衣地購買販賣組合
一、共成購買組合
一、ビロード第一購買組合
一、昭和購買組合
一、榮織購買組合
一、唐織購買組合

の六組合を誕生せしめたが、不幸にして當時の西陣機業界は、尙未だこれが運用につきその實情と副はざる點があつたものゝ如く、何れも豫期の成績を擧ぐるに至らざりしは甚だ遺憾とするところであるが、時勢は益々中小業者にこの種施設の緊切を要望して居り、近き將來にその再生を見るべきものと信ぜられる。

一九、織物規格の制定と製品檢査制度の實施

本邦に生産される織物は、明治時代までは主として絹、綿及麻に限られ、大正に入つてこれに毛織物及人絹織物の進出を見たが、しかも未だ量質共に在來の織物に比較すれば言ふに足らざる程度のものであつた。然るに昭和に入つては、これら兩織物の飛躍的發展と、更にス・フの如き新興繊維を應用進出するもの頗る顯著なるに至つた。

西陣としては、終始絹業を以てその大部分を占め來つたが、これら新繊維を應用して大衆向織物に進出する一部は、他産地の同種新興商品と販賣市場に激烈なる競争を演ずるに至り、延いて彼我共に粗製濫造に流れ、西陣織物の聲價を失墜するの虞れ必らずしも尠しとしない一面には、一般需用者の蒙る迷惑をも考慮して、これが弊害を芟除すると共に、西陣製品の眞價を發揚して、他産地の製品と一見これが鑑別を容易ならしめることは、まさに時代の要求なることを痛感しつゝあつた際、恰も前記西陣振興會に於て略同様の答申が提出された爲め、直ちに組合は昭和六年四月一日を期し、定款の一部を變更して各種織物の全般に亙り三百數十種の規格を定め、且つ製品檢査規則を制定し、所定の手續を經てこれが實施を爲すに至つたのである、いまその檢査による合格不合格を識別する方法を示せば、次の如く登録團體標章と密接なる聯關を保つことゝしたもので、この制度は曩に明治十年七月時の知事槇村正直氏の勸獎により、西陣織物會所が製品檢査と證紙貼用の制度を實施しながら、數年を出ずして蛇尾に終つたものゝ、再生であるが、時代の推移は、遂によくその制度を活用するに至り、西陣織物の眞價を世に問ふに至つたのである。

右檢査勵行の結果、信用ある商店に於ては、漸次不合格品は一切これを取り扱はざるに至り、一方には組合員の自覺により、漸を追うて不適格品の生産は減少し、檢査實施の初年度以來、その不合格率は次の如く概ね減退の一途を辿り、その製品は著しく向上さるゝに至つたのである。

年代不合格率年代不合格率
昭和 六 年〇・〇一五一昭和 七 年〇・〇一五二
同 八 年〇・〇〇六三同 九 年〇・〇〇五二
同 十 年〇・〇〇四〇同 十一 年〇・〇〇二八
同 十二 年〇・〇〇三三

二〇、買繼制度の實施

西陣織物買繼制度は、既記西陣織物振興會に於ける取引改善の隨一策として答申されたものであり、西陣織物に對しては、明治十八年一月以來再度に亘つて時の先覺者により實施され、しかも其の理想と實情との相剋によつて再度休止され、本組合創立以後は遂に三十五年、單に理論として残され來つた制度であるが、茲に明治以來三度び學識經驗ある官民有力者によつて探り上げらるゝに至り、拔本塞源の大策として登場したものであつた。

斯くて組合創立以來の劃期的、一大變革たる買繼制度は、昭和六年十月を以て實施されたのであるが、そもそも買繼制度とは、組長に於て一定の買繼人を指定し、買繼人は自ら製品を買取ることなく、生産者と問屋又は小賣人との中間に介在し、一定の手數料を以て賣買を斡旋し、その賣買契約の成立したる際は、賣立に對して代金の即時決濟を爲すの責めに任じ、機業家從來の金融難を緩和すると共に、步引・數引、或は金利引・浮引・點引・其他各種の不合理なる諸引物を廢し、また仕切方法の如きも、取引當事者によつて區々頗る繁雑不公正なるものを、大正味として商取引の公正單純化を期し、一面機業家は總て組合の手による産地證明なきもの、及檢査未濟品を賣ることを禁ずる等、明朗にして能率化したものであるが、然るにこの組合員に對する有效適切なる制度も、千年の商習慣が、所詮は一片の規定を以てしては容易に改革し難いことを如實に示したるに過ぎず、買繼制度に隨伴して、その年二月より開業し、西陣機業家に對する金錢の貸付、及織物の受託販賣を目的とした資本金十五萬圓(全額拂込)の西陣振興株式會社も、組合を母體とし、且つ組合による淺からざる保護指導があつたにも拘らず、業績とみに舉らず、數年ならずして遂に解散の運命に陥入り、買繼制度そのものも、理想と實情とは尙完全に握手し能はずして殆んど有名無實と化し、何等かの形に於てこれが改善更生策を講ぜられつゝある間に、遂に組合自體が解散するに立至つたのであつた。

たゞ此の買繼制度に隨伴した西陣織物の檢査制度が、これによつて永く且つ儼に勵行せられた西陣織物の向上に資したことは、此の制度の實施による收穫としなければならぬところである。

と共に、また更に時勢の進運と推移に伴ひ、將來は一段と理論と實際との渾然として融合したる新しき制度が誕生して、西陣機業に明朗且つ健全なる商取引が行はるるに至るべく、既に本組合解散後、幾許もなくして支那事變の聖戰遂行による物資統制下に、斯かる不合理なる步引の悪習一掃は、遂にに經濟警察の乘出すところとなり、ひいては取引制度の根本に於て、眷顧からざるを思はしむるに至つてゐる。

二一、其他各種の事業施設

我が西陣織物同業組合は四十一年に互る存立の期間中、實に同業組合機構による法規の許す最高限度の施設は、殆んど爲さざるところ無きまでに各種の事業を爲し、事績を擧げ來つたもので、その内上述せる二十項は比較的重要なものであるが、其の他の百般に至つては、これを一々枚擧するの煩に堪へないので、茲に更に前各項に洩れたるものゝ中、最近數年、或は十數年繼續して努力し來つた數種のものを列記して、本章を結ぶことゝした。

イ、官公署に對する各種願書の作製及交渉等、一般組合員の利便を圖つたこと
ロ、組合員の所得税・營業收益税等につき税務當局との中間に立つて斡旋し、或は織物消費税課税標準價格調査委員會を常設し、課税價格の公正を期する爲め各種の調査を行ひ、關係各署との交渉に努めたこと
ハ、組合の公報機關として毎月月報『西陣』を發行し、組合の實勢並に組合員の參考と爲るべき法制・經濟・並に染織關係事項の研究を紹介し、組合員に周知せしめたこと
ニ、組合員又はその子弟を以て組織する各種研究調査修養等の團體に對し、補助金の交付其他精神的物質的に積極的援助を爲し、これが目的の達成に努めたこと
ホ、京都市染織試驗場と共同して新規製品の試織を行ひ、その試織品は同場に陳列して一般組合員の展覽に供したこと
ヘ、京都府に於て蒐集されたる海外に於ける各種新規織物見本を一般組合員に展覽し、併せてこれが製織上の實地指導を爲したこと

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