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西陣織物同業組合沿革史(5)

六、從業者に對する各種の獎勵と取締

職工、徒弟及賃織業者は織物技術の第一線に立つもので、これが獎勵と取締とは西陣機業の盛衰にも關する重大事である。

組合は夙にこれに見るところあり、組合員がこれら從業者を雇傭、又は賃契約を爲したる際は、直ちに組合に届出でしめてその統一を圖り、兩者間に於ける契約上の義務を履行せしむると同時に、專心斯業に服するの氣風を涵養せしめ、且つこれら相互間に於ける紛爭に就ては、公平無私の立場よりよく調停和合に努めつゝあつたが、更に從業者又は賃織業者中契約義務を誠實に履行し、且つ品行方正にして技術優秀、他の模範となすに足るべき者に對しては、毎年一回、 これを撰獎し、職工徒弟は明治四十四年以來二十八年間、賃織業者は大正六年以來二十二年間に亙り、表彰せられたるもの實に五百餘名に上り、更に大正十五年一月「西陣織物同業組合診 療規程」を制定、組合褒賞規程により表彰せられ、現に組合關係の織物業に従事する工務員・職工・徒弟及賃織業者に對して無料診療券を附與し來り、其後数年、これら從業員間に於ける 保健衛生思想の發達、體位向上運動の擡頭等により、これが交付を要求するの漸次減少し、 且つこれら優秀なる從業員に對しては、その雇傭たる組合員に於て夫々適切なる醫療の途を講じ來れるため、後年この制度は廢止せらるゝに至つたが、これら各種の表彰制度の實施は勞 資の協調に資するところ洵に大なるものがあつた。

一方またこれら西陣に於ける賃織業者及職工徒弟は、從前兎角所謂職人氣質を多分に有し、 宵越しの金を持たざるを以て當然、否寧ろ誇りとなすが如き風あり、組合に於ては一家一族はもとより、延いて全西陣的觀念よりするも、この所謂職人氣質を是正改善するの緊要なるを認め、 大正七年六月「西陣織物組合貯金獎勵規則」を制定し、勤儉力行の氣風を作興せしむべく、 賃織業者及職工は賃金の百分の一以上、徒弟は賃金又は給與したる金額の十分の一以上の貯金の實行を組合員に强制し、心ある組合員はまたよく組合の趣旨を了解して相當高率の利息を以 て預入する方法を採るものあり、年を經てその金額莫大に上り、其後しば/\招來したる不況にもこれあるが爲めによく難局に耐へ、往年の所謂西陣お粥施行の如きは單なる昔の夢物語に至らしめたのである。

七、西陣織物館の經營    

天下に冠絕する西陣織物の精華を一堂に陳列して、外は一般大衆に公開汎くその眞價を問ひ 内にはまた一面東西の優秀織物を蒐集して、以て組合員の参考に資するの要は、既に明治三十 七八年代に於て組合識者の抱懐し、且つ唱導した意見であつた。たまたま明治四十三年組合員 が關東各機業地の視察旅行に於て、同方面が諸施設の著しく完備せるに刺戟せられてより、織 物參考館の設置は急激に組合員間の輿論となり、後 大正天皇御即位の大禮を行はせられるの盛時に際會し、これが記念として參考館の建設と、併せて兩三甚だ狹隘を感じつゝあつた組合事務所新築の議を決し、大正二年三月兩者の敷地として今出川通大宮東入ル元伊佐町に用地 を買收、四月建築委員二十名を囑託して準備に着手し、七月二十五日の組合會は二ヶ年繼續事   業金七萬三百五十圓の豫算を議決、八月十五地鎮祭を行ひ、即日より建築に着手、十一月五 日には盛大なる礎定式を擧げ、翌三年六月二十七日上棟式、七月裝飾器具及開館に要する諸經費六千圓の追加豫算を可決し、同時に織物參考館を西陣織物館と改稱した。  

織物館の建築に對しては組合員より金品の寄附相次ぎ、物品に於ては川島甚兵衞氏の貴賓室用綴錦壁張地(見積價格金千五百圓)以下裝飾用敷物・額面・屛風、衝立、時計、清酒等二十點、 この見積額金三千五百八十餘圓、金員に於ては田畑庄三郎・鳥居榮太郎兩氏の各金一千圓以 下二百七十六氏、金六千圓に垂んとし、以て同館の錦上に更に花を添へるに至つた。

斯くて同年十月五日朝野の名士三百餘名を招待、竣工式並に開館式を擧行、六・七の兩日に 亙り組合員千七百餘名を、八・九・十の三日間には賃織業者七千五百餘名を招待觀覽せしめ、 茲に西陣名所の一を加へるに至つたのである。本館は鐵筋コンクリート三階建各階八十四坪あ り、一階には西陣に於て製作する各種織物を陳列し、二階には織物に關する各種の參考品を展 示すると共に、機織の實演等を試み、三階には貴賓室・來賓室・圖書室等を設け、各室は夫々西陣製織物を以て、絢爛にしてしかも高尙優雅なる裝飾を加へてゐる。  

大正四年十月の開館以來、組合解散に至る二十三年、その間參考品の陳列としては、全國著名の神社佛閣を初め、旧家好古家の秘藏にかゝる內外の古代織物、染物、刺繡の類を展觀すること数萬點を數へ、これらは一つには古代製の風韻を傳へ、二つには斯かる傑作を完成したる 先人の努力と勞苦とを偲ぶため、その優艷高雅なる文樣色彩を模寫して永遠に館内に留めるの 外、大正五年より逐年刊行して、組合員及同好の士に頒布すること十數册に及び大に世の賞讚を博し、且つ組合員の發奮興起を促すところがあつた。  

一方かゝる古代製品等を展示するの外、本館の建造物を利用して組合員に各種の獎勵を與へたこと甚だ多く、大正四年九月開館記念織物圖案懸賞募集を行ひ、これを展示したるを初めとし、大正七年十月組合創立二十周年記念西陣織物競技會を開催、引続き大正八年十一月第二回、 大正十年十月第三回、大正十二年第四回、大正十四年第五回、昭和二年第六回と殆んど隔年毎 に全組合員の技巧と精魂を打つて一丸とする競技會を催し、後年は組合の部制確立に伴ひ、これを各部の事業として移管するに至つた。  

また大正十二年三月より四月にかけては 聖徳太子御忌讚記念美術展覽會を、大正十三年三月より四・五兩日ににかけては 東宮殿下御成婚奉祝記念西陣織物展覽會を、大正十四年三月より五月にかけては 兩陛下御銀婚式奉祝記念西陣織春夏物新柄展覽會、昭和三年九月より十二月にかけて 御大典記念西陣織物展覽會と、夫々国家最高の慶びを奉祝して華々しき記念行 事を營み、組合員の機業報國に拍車をかけると共に、大西陣の威容を天下に顯現するを怠らず、 以て最終に及んだ。  

一方組合員外に對する公開の成績は、元來卸賣本位の施設にあらざる爲め、その販賣金額は 言ふに足らざるものであるが、開館以來百萬に餘る觀覽者を吸引して、眞の西陣製品の粹を深くその耳目に印象せしめた功績は甚だ大なるものがあり、殊にしば/\高貴の御微行を辱うしたことは、本館の最も光榮とするところである。  

尙茲に附記すべきは大正七年十月組合創立二十周年記念に際し、故實家に囑して館内に織物天棚機姫神を奉齋し、南都正倉院の御物を初め、帝室博物館其他各方面の文書遺物を參考として、同十年五月より彫刻を石本曉海氏に嘱し、十一年十二月完成した。天棚機姫神は 天照皇大神、天の岩戸に入りませし際、神衣を織りたまふて 大神に供進せられた神話によるものである。     

八、織物競技會と圖案の改良    

組合員が渾身の精力を傾到せる、自信ある製品を一堂に展示競技せしめ、以て自他の参考に 資することは、組合の創立當時に於ても、その必要を痛感されたところで、しば/\小規模な催しがないではなかつたが、これが本格的に開催されたのは、大正七年十月、組合創立二十 周年記念織物競技會であつた。出品人員三百二名、出品點數八百餘、織物館の全館を以て會場 に充て、絢爛眼を奪ふ各種織物は、その配色に、技巧に、當時の審査員たりし京都高等工藝學校、市立染織學校、市立美術工藝學校の教授教諭諸氏を初め、百貨店及問屋方面の人々をして西陣にこの獨創ありと嘆賞せしめたものであつた。  

爾後組合又は各部に於て主催せる、各種織物の競技會は數十回に及び、製織技巧の向上に資せしめたこと、甚だ大なるものがあつた。  

また圖案の改良に就ては、大正四年九月織物館開館記念の爲め、當時としては相當巨額の賞を懸けて廣く公募し、二百三十六葉の應募を得、これを同館に展示して組合員の参考に資し、 爾後直接組合に於て主催し、或は各種團體を後援して、西陣織物圖案の改良に寄與したることは枚擧に遑がない。     

九、力織機の普及獎勵    

歐洲大戰當時より、地方新興機業地の著しき擡頭は、西陣ひとりその傳統にのみ依存して、舊 式手織機法を墨守し得ざるに至り、その傳統の技巧をしてますます發揚せしむるの一面には、 製織能率の増進を併せ策せざるべからざるに至つた。

よつて組合では大正九年二月、初めて織機獎勵規則を制定、同年四月一日より實施したのあるが、その要項は

イ、新に力織機を据付け織物を製造する者並に織物の準備工程を爲すに當り完璧せる機械を装置して操業する者に對しては其の費用の幾分を補助し若くは貸付すること
ロ、前號の操業者に必要なる職工の養成に努むること
ハ、工場の新設修繕を爲し若くは第一號に該當する装置をなすに當り其の者の申告ありたる時は組合は設計實施上の指導監督其他官公署に對する交渉並に文書作製等の便宜を與ふること

等で、引續き實施せられたが、昭和三年九月一日これを廢し、新にこれを強化して「西陣織物同業組合力織機設備獎勵規程」二十四ヶ條を制定、五ヶ年間に亙り、低利を以て力織機購入資 金を貸付け、五十九ヶ月以内の月賦償還によることとして、大に獎勵に努めると共に、力織機 操作技術を講習せしむる爲め、西陣機業青年團を主催者とし、經費は全部組合に於て負擔し、 染織試験場に於て二ヶ年繼續受講せしめ、また昭和十一年度よりは京都市の補助を得、同時に 京都市再び染織試験場と組合との共催のもとに力織機講習會を開く等、織機改良に對して大に組合員を指導獎勵し、この結果、織機獎勵規則制定前、大正八年末に於ける力織機は手機の一割二分三厘に過ぎざりしものが、昭和二年末即ち織機獎勵規則改正の前年には二割八分九厘と なり、更に組合解散の前年即ち昭和十二年末に於ては、手織機一萬一千二百二十二臺に對し、 力織機六千二百十八臺、即ち五割五分四厘にまで普及して、その製織能率を著しく向上せしむるに至つたのである。     

一〇、生絲檢査所の建設と寄附    

京都府立生絲檢査所は、大正十二年六月を以て生絲檢査を實施せられたが、これより先き西陣織物の主要原料たる生絲の中には多量の水分を含有すると共に、絲質亦雜駁にして千有餘年の輝く傳統を有し、世界有數の絹機業地たる西陣に於て、生絲檢査の施設を缺くことは寧ろ不可解以上であるとの意見が、既に明治年代より組合員中の先覺者によつて熱心に唱導せられ、 現に明治四十五年七月には、最も關係深き京都蠶絲商同業組合との間に、非公式ながら意見の交換が行はれ、蠶絲商組合に於ても、その幹部は原則として生絲検査の妥當を承認しつつあつたのである。しかし實際問題に當面すれば、少數の先覺者や有力筋のみが自覺せるのみでは、たとへ検査所が設備さゝるとも、到底所期の效果を擧ぐることは甚だ至難であり、先づ以て内は組合員全部がその必要性を充分に認識し、且つ大にこれを利用すべき決意を有すべきことと、外は西陣に於ける生絲業者の全部が、誠心誠意これに協力共鳴することを要し、同時にその検査は須く官權の力によつて、尠くもその水分検査は強制されるのでなければ實效は期し得られない。然るに當時に於ては、未だ全組合員にその認識あるや否やは甚だ疑はしく、且つ府に於ても充分の施設を講ずるだけの熱意ありとは、想像し得ない状態であつた。 然るに大正七八年の頃に至つては、生絲検査の絕對的必要は組合員間の輿論となり、検査所急設を組合當局に要請する時代となつた結果、組合としては大正八年十一月、組合の役員議員及事務長の一行六名をして石川福井兩縣に派遣し、夫々縣立生絲検査所の實績につき詳さに調査せしめたところ、これら調査の結果は、西陣に於ても速かに検査所を設置すべきであるとの結論に達し、同時に組合役員が各自有するところの生絲を、京都市立染織試験場に託して含水量の検査を行つた結果、その成績は平均含水量たる公定水分量一割一分を控除するも、尚二分二厘四毛を餘せることが明確となり、この平均率を、當年の西陣生絲消費量約二十二萬五千貫に乘ずる時は實に組合員は年額五千四十貫の水分を、生絲として購買しつゝあることを確認するに至つたので、茲に検査所設置の緊急は裏書きされるに至り、よつて組合は先づ以て京都蠶絲商同業組合と更めて正式協商の必要を認め、大正八年十二月十四日、初めて公式に兩組合の正事務長によつて會談が行はれ、組合側より生絲検査所急設の意見を吐露し、爾後兩者間に數回に亘る隔意なき懇談を重ねた結果、翌九年十月二日に至つて兩者の意見は完全に合致し副組合長以下役員

一、生絲検査所は京都府立として設置すること
二、西陣織物に使用する特殊のものを除くの外、取引はすべて正量とし、含水量検査を強制し、其他は任意検査とすること
三、検査並に設置に要する費用は西陣織物同業組合に於て負担すること

を骨子として協定するに至り、組合は直ちに組合會を開き、生絲検査所一切の設備を完璧してこれを府に寄附し、京都府立生絲検査所として、検査を施行せらるるべく出願することに決定、次の如き申請書を提出した。  

大正九年十二月三日              

西陣織物同業組合長 池 田 有 藏  
京都府知事 馬 淵 鋭 太 郎 殿

西陣織物の改良發達を圖る爲め當組合に於て建設に要する費用の内應分の負擔を可致候に付御府に於て生絲検査所を設置し左の事項を行はれ度此段申請候也  

一、西陣織物に使用の目的を以て賣買譲渡する生絲の正量及撚絲に附着せる油並に其他の成分を検査せらるべきこと
二、生絲は正量に限り検査済のものにあらざれば織物の原料として使用を禁止せらるゝこと但知事に於て其必要なしと認めたるもの並に特種の事由あるものに對しては此の限りにあらざること
三、生絲の品質並に撚絲油分等は當業者に於て請求ある場合若くは知事に於て必要と認めたるものに對し検査せらるゝこと
(理由略)

同時に京都府會市部會は、西陣に生絲検査所急設の意見書を提出、同年十二月二十三日の日程に上して即決した爲め、府當局も遂に大正十一年の通常府會市部會に、大正十二年度生絲検査所豫算を提出し、市部會は直に原案を可決すると同時に「正量は強制検査をなすの必要を認む」との附帶希望を決議して、正量検査の勵行を促した。 之より先き、組合に於ては府會に於ける意見書の提出によつて、知事の發案を略推知し得るに及び、直ちに敷地の選定に着手し、大正十年十二月五萬七千五百圓を以て今出川通浄福寺東入に敷地を求め、更に大正十一年一月の通常組合會に於て、歳出豫算六萬五千四百二十二圓を可決して、正量検査は一日平均二百件、品質検査は一日平均二十件最大限五十件とし、尚其の他の検査に適應する設備を加ふるこゝとし、大正十一年九月二十八日地鎭祭を行ひ、大正十二年四月三十日を以て竣工、同時に諸機械を据付けて竣工當日試運轉を行ひ何れも満足なる成績を収めた。 よつて組合は府に對して、次の如き寄附の申請を爲し、大正十二年五月二十二日正式に寄附物件の全部を引渡し、茲に全組合員待望の生絲検査所は、組合員の自力を以てすべての献立を終り、同年六月十四日組合事務所の樓上に府營としての開所式は擧行され、同年六月二十日より京都府立生絲検査所として運営せらるゝに至り、且つ昭和七年七月生絲検査法改正されて愈々強化せられ、生絲取引の公正を確保して、以て今日に至つたのである。 尚右検査所の寄附申請書、並にその承諾書は次の如くである。

發第六三號      

生絲検査所設備物件寄附再願 當西陣ニ設置相成京都府立生絲検査所設備ニ要スル一切ノ物件ハ當組合ヨリ寄附可致旨去ル大正十一年十一月十五日ヲ以テ願出置候所愈該建築工事並ニ器械類ノ設備モ完璧致候ニ付別紙目録ノ通寄附可致候間御採納被成下度此段再願候也 追テ後日生絲検査所御廢止等ノ場合ハ右寄附物件ハ無償ヲ以テ全部當組合ヘ御還附被成下度候事ヲ條件ト致候ニ付爲念申添候

大正十二年五月八日

西陣織物同業組合長 池 田 有 藏(印)

京都府知事 池 松 時 和 殿

   〇寄附物件目録

一、市街宅地百七十一坪八合三勺 價格五萬七千五百圓也 京都市上京區今出川通智恵光院西入西北小路町三二四番地ノ一 九十坪三合。同區今出川通浄福寺西入北小路仲ノ町三三二番地ノ一 八十一坪五合三勺
二、木造二階建物 百二十七坪八合一勺二五 價格參萬參千九拾八圓  
本館木造二階建 五十四坪三合七勺五(二階全面積)  
別館木造平家建 七十三坪四合三勺七五
三、周圍煉瓦高塀 延長四十八間五分小門二ヶ所付 價格貳千貳百五拾圓
四、給水設備(現形ノ儘)一式 價格百七拾參圓
五、瓦斯設備(現形ノ儘)一式 價格九拾貳圓
六、電燈設備(現形ノ儘)電球付一式 價格五百六圓
七、器械配電設備(現形ノ儘)電力計二個付一式 價格貳千參百八拾五圓
八、検査用器械器具一式 價格貳萬四千贰百四拾圓  
内譯

品  目數 量價  格(円)摘  要
電氣式正量乾燥器附屬品共二四個一五、六〇〇.〇〇
生絲原量檢査用特別製臺秤一臺四三五.〇〇
中天秤瓦分銅付二臺三九〇.〇〇
米國式鐵製再繰器兩側ニテ五十窓二臺九三〇.〇〇
米國式フワリ枠伸縮付一一〇個五四四.五〇
櫻製ボビン五〇〇個九〇.〇〇
繊度器電氣式拾本取二臺五九〇.〇〇
檢穎器四機連絡一臺三八〇.〇〇
專賣KM式デニールバランス三臺九六.〇〇
精秤器二臺一五〇.〇〇
右用分銅五百デニール以下四分ノ一迄二組三六.〇〇
油装置セリメートル專賣品一臺二四〇.〇〇
金側檢力計(セリメートル)一臺六八.〇〇
鐵製揚返器五窓連續一臺三七五.〇〇
右用附屬揚枠一〇個四五.〇〇
括造器附屬品共二組五六.〇〇
回轉式溫度計二臺三〇.〇〇
繊度絲絲捻器鐵製二組一七.〇〇
繊度檢尺器手廻用二臺五〇.〇〇
肉眼鑑定用黑オイルクロス六尺一三.〇〇
精練器蒸氣式四臺附一箇九五.〇〇
生絲抱合力試驗器絲卷器付一個四九〇.〇〇
ゲージ試驗器(絲太ムラ檢査器)一臺九五〇.〇〇
四分ノ一モーター直結回轉装置六臺九〇〇.〇〇再繰器 二臺
繊度器連結 一臺
檢頭器 一臺
揚返器 一臺
試験器 一臺
セリプレーンベルト装置一臺四五〇.〇〇
ソクスレット式脂肪浸出器四十瓦三個付一組一六五.〇〇
ソクスレット式脂肪浸出器五瓦三個付一組一二〇.〇〇
銅製二重壁乾燥塞暖計一個付一組三五.〇〇
シャイプレル式玻璃製乾燥器一個一〇.〇〇
リービック式冷却器長一尺五寸一個二.五〇
化學バランス感量一粍秤量一〇〇瓦分銅付一臺一二〇.〇〇
ゴム管赤ゴム各器引水用徑三分五〇尺一〇.〇〇
右ニ要シタル運賃外雜費七五八.〇〇

九、事務用器具 價格千百七圓
内譯

品  目數 量價  格(円)摘  要
書棚四個三四〇.〇〇
片戸卓子六個一八〇.〇〇
同小椅子六個五七.〇〇
小卓子一〇個一三〇.〇〇
同腰掛二二個一六五.〇〇
兩戸デスク一個六〇.〇〇
腕掛椅子一個三〇.〇〇
應接用卓子一個四〇.〇〇
同小椅子皮張七個一〇五.〇〇

價格總計 拾貳萬壹千參百五拾壹圓也

京都府指令二商第六四九號

西陣織物同業組合長 池 田 有 藏
大正十二年五月八日發第六三號申請京都府生絲検査所用土地建物及設備寄附ノ件承認ス但寄附物件ハ生絲 検査所廢止ノ際ハ其當時ノ現状ニ依リ無償還附スルモノトス

大正十二年五月二十一日  

京都府知事 池 松 時 和(印)

上記目錄價格の外、生絲檢査設備費に要した組合債六萬九千百八十五圓を、五ヶ年賦を以て償還するに就ての利子凡三萬圓を併算すれば、組合員の負擔は實に十五萬圓以上に達したのであるが、この結果同年以後生絲正量取引は實施せられ、舊來の如く、水分を生絲として購入するの不合理は、全く後を絶つに至つたのである。

因に京都府立生絲檢査所は、大正十二年關東大震災後の輸出生絲に關する檢査の爲め、本組合の内諾を得て、同年十二月二十日より横濱生絲檢査所に對し、乾燥器の大部分及品質檢査器械の一部を貸與し、一時檢査機關を縮少したが、大正十三年六月二十日、それら器械の返還を受けて檢査機構を復し、後大正十四年三月一部檢査規則を改正、更に昭和七年七月一大改正を行ひ、品質檢査中繊度偏差、絲條斑等の檢査を嚴密にしたる外、人造絹絲、柞蠶絲等各種繊維に就いても、之を特別檢査として檢査の途を設け、生絲取引の公正竝に原絲の選擇に便し、その需給の改善に資する等、ひとり機業のみならず、本邦蠶絲業の改良發達上重要なる機關として今日に至り、昭和十二年度に於ては強制正量檢査九千四百五十四件、他に生絲の品位・練減・油分檢査・人造絹絲の正量・繊度等各種檢査一萬二千五百八十四件、合計二萬二千三十八件の多きに及び、その機能を充分に發揮しつゝあるは、これが寄附者たる本組合の深く欣快とし、且つ光榮とするところである。

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