第三章 西陣織物同業組合存立中に於ける主なる事業及事績
組合の存立四十一午間に於ける事業事績は、これを一々詳細に列舉すれば、その一二を採るもまた一冊子を爲すものあり、茲にはその比較的主なるものゝ中より、大小輕重を問はず、大體にその創始の年代を追うて簡單に列記するに止めることゝした。
一、織物貯蔵場の設置と徴税事務の取扱 (附 織物組合交付金問題)
振古未曾有の大戦日露戰役に際して、非常特別税法が發布せられ、西陣機業に對し重大關係ある織物消費税法は、明治三十八年二月を以て實施せられた、よつて組合に於ては、同年二月より七月までは組合事務所の階上を、上京税務署西陣出張所として提供し、査定價格に應じて其の一割を消費税として納付し、別に一分を組合經費として徴収することゝしたが、その狹隘を告ぐるに及んで、同年八月には今出川大宮西入ルに移轉した。元來最初は三ヶ年間を以て廢止さるべき豫定であつた同消費税は、遂に恒久的性質を帯びざるを得ざるの事情に立至つた爲め、一時は各機業地とも旺んに惡税撤廢の氣勢を擧げ、西陣に於ても、明治四十二年二月二十三日には、約五千の大衆が寺之内大宮東入ル妙蓮寺境内に集合し、手に手に白無地の提灯を携へ一大示威運動の狼火を擧げるに至つたが、しかしながら戦後國費膨張の著しき折柄、これに代るべき適當なる財源なく、殊に機業家の眞に痛苦とするところは、税そのものよりも、寧ろ繁煩なる納税手續に要する時間の浪費と、同時にそれに伴ふ商談の遅延にあり、しかも問屋、前賣の商人に至つては、廢税の結果として当然齎らさるべき在庫品の値下りを懼れ、寧ろ廢税反對の態度を堅持するに至つた爲め、此の運動は遂に龍頭蛇尾に終り、一面別項西陣織物團體聯合會の手によつて、税務當局との間に織物査定價格の標準が協定された爲め、廢税運動の興奮も沈静し、茲に恒久課税としての體制を是認するともなく承服するに至り、その結果明治四十年三月、織物貯蔵規則を制定して、組合員の納税に對する利便を計り、併せて政府の徴税事務を補佐することゝし、貯蔵場を以て織物の集合査定場とし、左記五ヶ所を提供するに至つた。
第一貯蔵場 上京區元誓願寺通黒門東入ル寺今町五一八
第二貯蔵場 上京區小川通上立賣下ル小川町一三二
第三貯蔵場 上京區中立賣通浄福寺西入ル加賀屋町三九四
第四貯蔵場 上京區室町通二條下ル蛸薬師町
第五貯蔵場 上京區寺之内通大宮西入大猪熊町六八
その後大正四年十月組合事務所の移轉に應じて、第一貯蔵場を上京區今出川通大宮東入ル元伊佐町に移轉し、更に第五貯蔵場を上京區智恵光院通寺之内下ルに移轉、次で大正十一年四月新に第六貯蔵場を葛野郡花園村字花園に設置して、下京税務署管内の組合員に利便を與へ、更に大正十二年八月第七貯蔵場を上京區紫野門前町八に、昭和二年八月第八貯蔵場を上京區今出川通七本松西入毘沙門町四八七に夫々増設し、越えて昭和四年二月には第二貯蔵場を上京區室町通上立賣上ル頭町二八八に移轉したが、たま/\昭和八年四月西陣着尺織物工業組合設立され、本組合より着尺部は分離した爲め、これを機として織物査定及納税事務の合理化を圖るため、第三・第四・第六各貯蔵場を廢止し、次で同年六月第五第七の各貯蔵場を閉鎖、第八貯蔵場を第三貯蔵場と改稱するに至り、またこれら貯蔵場の整理に伴ひ、第二貯蔵場を上京區堀川通寺之内二丁目下ル天神町六四六に移轉新築して、昭和八年七月一日より査定及納税事務を開始し、また昭和十年十月組合事務所の改築と共に、第一貯蔵場をも併せ新築して同月より事務を開始し、更に同年十一月には第三貯蔵場を上京區六軒町通五辻下ル佐竹町一一五に移轉新築して事務の取扱を開始し、以て解散時に至つたのである。
茲に織物貯蔵場の設置に關聯し、特記すべきは交付金問題である、既に前述の如く織物消費税は恒久的性質を帯ぶるに至り、到底これを一朝一夕に廢止せらるることは不可能なりとの見極めをつけた後、この綜合納税に對する組合の徴税事務補佐に對し、何等の交付金をも受けざるは甚しく不合理であるとの意見を樹て、所謂織物交付金問題を提げて先頭に立つたのは本組合であつた。即ち明治四十五年五月三日を以て、組合は時の總理大臣西園寺公望侯、大藏大臣山本達雄氏に對して次の如き請願書を提出した。
(前略)織物消費税納付手續は、主として關東地方に於ける織物の市場取引を標準として制定せられるものなるも西陣の商取引は全く關東地方と異り、頗る複雑にして納税上勞費を徒消すること甚しく、営業者の困難は實際を視るの外到底筆紙に表し能はざる所に有之候。
茲に其概況を叙述すれば、當地の織物は織成の都度仲買商に持参して取引をなすものなるが故、織物消費税法第九條に依り先づ税務署に價格の申告をなすの必要あり、然るに我西陣を所轄する税務署は上京税務署の一あるのみにして、是迠各自の製造場よりは遠きは一里餘を距る税務署に於て査定を受け、更に十數町を距る京都本金庫に税金を納付し、其領収證を得て再び税務署に來り納税濟の證印を受けざるべからざるが如きは各自の業務に大なる障害を受け其困難名状すべからず、斯は僅か一反の御召、一本の繻子と雖も亦同様なりとす、如何に納税は國民の義務なりとは謂へ此手續を履行するが爲めに西陣二千五百の織物業者は税金以外に勢力と運搬等に日日多大の負擔を荷ひ延いて斯業の發達を阻害するの虞あるを以て、當組合は其不便利を座視するに忍びず、之を救済し併せて組合員共同の利益を圖るの目的を以て、去る明治三十八年以來組合經營の下に西陣區域内に五ヶ所の織物貯蔵場を設置し徴税の取扱をなし現に一ヶ年度金八千圓餘を支出致居候。
此の如き施設は國民が納税上の便宜を得せしむるの一方法として、當然政府に於て公設せらるべき性質のものなりと確信致候。
上述の如くにして該貯蔵場は獨り組合員の利便を得るのみならず、政府が税金收納上に甚大なる便宜を受けつゝあるは自明の事實に有之、則ち當組合の施設に係る納税の取扱は他に多く其例を見ざる特種のものにして恰も市町村が國税を收納すると些の差異あらざるを以て、之に對しても亦市町村同様國庫より相當なる金額を交付せらるゝことに御詮議被成下度(以下略)
明治四十五年五月三日
西陣織物同業組合組長 池田有藏
これを皮切とし、組合は爾後機會ある毎に、交付金制度の妥當を力説して、しばらく衆議院に請願書を提出し、或は要路にその純理を説いた結果、西園寺・桂・山本・大隈・寺内五代の内閣を經て原内閣に至り、遂に大正八年四月一日より實施せられ
「組合に於て織物消費税徴收上必要なる設備を爲し又は税徴收事務補助を爲したるものは織物消費税を賦課したる織物の價額千分の一に相當する金額を交付することを得」べき法律を公布せられ、同日上京税務署長より
一、京都市上京區に於て尠くとも査定の爲め集合する現在織物の大部分を收容し其査定を爲すに支障なき程度の建物を其組合管理の集合査定場として設備すること
二、前項の集合査定場には左の器具及消耗品を設備提供すること
イ、卓子・椅子・度器・衡器・荷造機械鋏等
ロ、印肉文具等
三、組合事務員をして左に掲ぐる事務を爲さしむること
イ、織物消費税納付金額の取纏
ロ、收税官吏の指揮に従ひ査定場織物に納税證印を押捺すること
四、織物取引價格申告の下調査を爲すこと
五、集合査定場に於て爲す織物未納税の移出入及免税承認事務に就て相当補助を爲すこと
の命令書を受けたが、これらは既に組合としてすべて設備済のものであり、同日直ちに受書を提出、規定により一貯蔵場にして納税者三十名に滿たざる第四貯蔵場を除き、他は即日より税額千分の一に相當する交付金を下附せられ、其後は査定価格標準に異動あり、或は税率そのものに増減はあつたが、大正十一年四月よりは、織物徴税價額の千分の一に相當する金額の外、其の點数五百點に付一圓の割合を以て交付金を増額下附せられる等、組合の有力なる財源となつて最終にまで及び、その貯蔵施設による組合員の福利と、更に交付金下附の音頭取として全國機業組合を潤した組合の功績は、洵に大なるものがあつた。
因に組合に於ては織物の査定標準價格を調査し、織物消費税負擔の公平を期するため、大正十五年四月「織物消費税査定標準價格調査委員會規程」十一ヶ條を制定、委員長一名、副委員長二名、委員若干名を置き、その機能を發揮して本組合の解散に至るまで、終始納税の厳正と負擔の公平につき、大に盡すところがあつた。
二、組合と西陣織物團體聯合會との關係
西陣織物團體聯合會は、組合とは全然別個の存在であるが、組合の或は諮問機關として、或は援護團體として、二十五年間西陣機業發達の爲め、文字通り脣齒輔車の關係を保ち來つたものであり、これを除外することは、組合史の一面を缺くの類となるので、ここに同團體聯合會事歴の大要を掲記する。
聯合會は組合の創立と相前後して、当時西陣各業者が夫々の製品種別により
美奬會(高等紋織帯地) 隆織會(着尺地) 博織會(博多織) 天鷺絨會(天鷺絨) 錦成會(紋織帯地) 金欄會(金欄・袈裟・表具衣地) 研織會(高等紋織地及肩裏) 共益會(リボン) 共榮組(繻子帯地) 錦榮會
(木綿織) 交織會(交織帯地) 金曜會(洋傘地) 箴部(箴業) 紋様同志會(紋様業) 糸文會(高等紋織帯地)
等、夫々独自の旗幟のもとに團體を組織し、或は業務の振興、或は從業員の福利増進等の研究團體として、或はまた同業者間の親睦團體として存立してゐたものであるが、明治三十八年二月より實施せられた織物消費税に關し、組合員と税務當局との間に徴税上の摩擦を生じたる際創立日尚淺かりし組合當局の手足となつて、組合員と税務當局との中間に介在各種の斡旋を爲し、織物消費税査定標準價格の制定に乗出すと共に、一面全業者に共通する営業上の宿弊を矯正し、或は各地の博覽會・共進會・展覽會等の出品事務、其他の斡旋を爲すため大同團結したものであつて、後年
絹召會(着尺物) 新織會(交織帯地新厚板) 綴錦會(綴錦) 肩織會(肩掛地) 錦正會(交織帯地新厚板)寶織會(リボン傘地) 美飾會(装飾リボン幅狭物)
等相次で参加し、二十三團體、所屬人員千七百餘名を數へ、各地機業界の視察を初め、組合に對し、生絲檢査所設置の建議、組合会議員選挙の肅正運動、不況時の職方救済等各般の事績を收め來つたもので、その功績は枚擧に遑がない。
たま/\昭和三年三月組合は定款を改正して、紋廣・着尺・片側・繻子・金欄・天鷺絨・傘服地・輸出・雜種の九部制を確立し、かつて聯合會の爲し來つた事業の總ては各部に於てよく統制實施されるに至つた爲め、昭和五年十月八日、遂に聯合會創立滿二十五周年を機として解散したものである。しかし所属各會中には尚私的團體として残されたもの多く、會員相互の親睦機關として、或は會員の使用する従業員の福利増進施設として、引續き順調なる發展を續けてゐる。
三、染織試驗場の設置と寄附
西陣織物は、いふまでもなく千年の歴史的背景のもとに育成せられ、その傳統の絢爛さは世 界有數の絹機業地として、海の内外にまで名聲を喧傳せられる。が傳統を重んずるの餘りに半 面進取の氣魄、新境地の開拓といふ熱意には、甚しく缺けてゐるといふのも、亦尠くも明治年 代の西陣に對する、内外識者の偽らざる忠言であつた。
祖先傳來の精神と技巧とを受繼いだ内地向織物の製出に就ては、刻苦勵精ひとり孜々として 研鑽に努力するも、海外に輸出すべき織物、又は海外よりの輸入を防過すべき織物に就ては、特殊の一二新興會社に一任し、当時の一一般組合員としては殆んど何等の關心を有せざるが如く、舊來の墨守に甘んじ、全國に冠たる機業地としては、甚だ不見識であるとの譏を免れなかつたのである。
組合は早くより染織試驗場を設立して、洋式の機織法を學術と實際との兩面から比較研究し、機械力使用の利得を一般組合員に周知せしめると共に、一面目まぐるしい服飾品界の變遷に應じて、新規織物の獎勵普及を圖るべく準備を進めつゝあつたところ、恰も明治三十八年より織物消費税に附帯して若干組合經費の増徴を得ることになつたので、ここに財源を見出し、明治四十年度染織試驗場の設置計劃は具體化せられ、同年五月の組合會に於て「西陣織物同業組合織物試驗場規則」十四ヶ條の草案を決定、この草案を帯して創立委員は農商務省にリボ ン製織機械其他の織機貸下げを請願し、その内諾を得て同年七月二十八日の組合會に更めて、 「西陣織物同業組合染織試驗場規則」十四ヶ條、同場會計規則二十三ヶ條を附議可決、四十一年 二月には烏丸上立賣上ル臨濟宗大本山相國寺の所有地一千坪を、同年二月より五ヶ年間は一坪 に付一ヶ月一錢五厘、其後の五ヶ年間は租税其他の公課を組合に於て負擔し賃料は据置、更に 其後の十ヶ年間は租税公課の外一坪に付一ヶ月二錢の賃借料支拂の條件を以て、向ふ満二十ヶ年間の賃借契約を爲し、七千六百餘圓を投じて直ちに着工、工場及附属家百六十坪七合五勺の建築は、四十二年三月を以て竣工を見、更に事業費、事務費其他一萬七千餘圓、四十一年度に於 て合計二萬五千餘圓の資を投下して事業に當り、工場設備も、汽機、汽罐其他七點は組合の手により購入、獨國製のジャカード付織機・絲繰機・管捲機・整理機・糊付器・瓦斯發生機等十三 點、及び瑞國製艶出機其他二點等は、これを農商務省より貸下げられ、主として右貸下げ機械を 以て細幅織物の試織及その加工の研究、並に組合員の委嘱に應じて委託製織及加工を引受け、 次で明治四十四年には、京都市より四千二百九十圓の補助を受け、琥珀地磨擦機械・紋紙編機・ 洋傘地織機・縮緬織機等を据付け、或は陳列所、事務所を増築、大正二年二月よりは色染科を併設する等専ら機能の増進に努めたが、後記京都市に對する寄附申請書に示された通り、同場 をして眞に西陣機業を啓發し、郷土産業振興の推進力たらしめるには、織物館の経営、組合事務所の新築、其他各種新事業を計畫して出費多端にある組合の獨力を以てしては到底力及ばざるに至つた爲め、大正五年一月擧げて京都市に寄附することを決定、左記申請書を提出した。
當組合は輸出織物の製造を指導獎勵し、併て組合員の依嘱により織物並色染の試驗を爲す目的を以て去る 明治四十年染織試驗場を設置して爾來指導經營致居候處、其間リボンの製織並再整等に對しては農商務省 より幾多機械の貸下げを受けたろに依り頗る良好なる成績を擧げ當業者に多大の裨益を與へ南清地方への輸出を増加せるのみならず、明治四十四年度に於ては御市より補助を受け、磨擦器其他の織機を購入して 當業者に利便を與へつゝ有之候得共これ以外の織物の試驗を行はんせば更に多数の織機を要するは勿論進んで海外人の嗜好に適應する織物を調査研究して適切なる試驗を行ひ、以て當當り支那向輸出織物の産出 に努むべきは目下に於て最も緊要なることと確信候、其他将来益輸入せらるべき綿天・綿繻子・毛繻子類並服地等輸入品の試驗を行ひ、大小機業家の事業啓發の素因を作らしめ、且西陣在来の織物に在ても徒に舊慣の墨守に任じ置候ては経済上大なる不利を免れ難く、此の點に就ても學術を基礎として眞摯なる試驗 を行ふの必要を相認め居候得共、奈何せん是等各種の設備を完整せんとせば勢ひ多額の費用を要し候へば 當組合獨力のみにては到底不可能のことに有之候、然らば之を國庫の補助に仰んか同業組合の経営に對し ては現行法規上此の恩典に浴する能はず、去り迎此儘坐視致居候ては益關東北陸の各機業地に先鞭を付せ られ遂には西陣特有の織物すら漸次蠶食せられ、古き歴史と光輝とを有する西陣織物の聲價をも失墜し延 いては當市の盛衰に一大影響を及すに至るべきかと日夜憂慮罷在候。
就ては之が救済策の一として今後染織 試驗場の設備を完整し當業者をして充分活用せしむるには更に適切なる良法を施すの外無之義と存候間、 此際當組合立染織試驗場は現形の儘全部御市へ寄附致候に付何卒御市に於て可然適當に御經營被成下度 別紙財産目録其他關係書類添付此段申請候也
大正五年一月二十八日
西陣織物同業組合組長 池 田 有 藏京都市長 法學博士 井 上 密 殿
京都市當局に於ても、京都随一の重要産業たる染織物の改良發達に關しては、何等か適當な る施設を爲すの必要を認めつゝあつた際なので、組合の申請を採納し、同年八月二十六日の市會に於て寄附受納並に市立染織試驗場設定の件を可決し、同年十月一日より、市立染織試驗場 として經營することになつたのである。
組合より寄附の物件は、申請書に添付された財産目録によると、建築物及其附属物一萬四千六 百九十九圓四十九錢、機械器具一萬一千七百四十圓十六錢、合計二萬六千四百三十九圓六十五 錢であるが、創立以來八午間に投下した經常費を加ふれば、七萬圓に垂んとし、且つ其後大正七 年より四ヶ年繼續事業として市立染織試驗場の擴張せらるゝや、組合は更に率先して金四萬圓 を寄附し、最初の設立者としての責任を盡した。既に市營事業としての創業二十周年記念式 は昭和十一年末に擧行せられ、本組合は推されてその協賛會の幹事長となり、同場沿革史及記 念論文集の出版、記念講演會、展覽會の開催、一部備品の寄附等に寄與するところがあつた。
因に京都市染織試驗場は、上記大正七年以降四ヶ年繼續の擴張により著しく面目を改め、更に昭和九年隣接しありし京都市立第一工業學校の他へ移轉に伴ひ、その舊校舎中の百九十八坪 と、敷地五百九十五坪餘の移管を受け、また同年秋本市を襲ひたる颱風の爲め一部建物の荒廢するや、経費十三萬四千餘圓を以てこれが復興と擴張とを行ひ、その經常費の如きも本組合よ り繼承したる當初の大正六年度豫算金一萬七千八百四圓に比し、最近は十萬圓を超え(昭和十 二年度豫算經常部九一、七一六圓餘、他に特別會計作業資金一一、三三一圓餘)京都染織界の發 達振興の爲め大なる拍車を興へつゝあるは、最初の設立者にして、且つその擴大を待望のもとに寄附探納を申請したる本組合の深く欣快とするところである。
四、教育の獎勵
組合は創立の当初より、各組合員をして夫々父祖傳統の技巧を繼承せしむる一面には、その 子弟及從業員をして、更に新しき機織の法をも傳習せしめ、新と舊、學術と實際との渾然たる融合を圖り、併せて普通學をも講習せしめ、一般常識の涵養に努力するところがあり、明治三十九年七月初めて京都市第四高等小學校の校舎を借用徒弟夜間講習所を開設し、爾後京都市染織學校を初め、西陣關係地區内數ヶ小學校舎に一校百名内外を收容して數年に亘りこれを繼續し、 また明治四十五年四月よりは、組合員の子弟にして京都市立染織學校機織科に入學するものに 對し學資補助の途を講じ、次代の中堅たるべき機業人の養成に力を致したのであるが、其後も機會ある毎にこれが徹底強化を吝ます、大正三年一月には組合が母體となつて、機業家及その子弟にして中等程度以上の學校卒業者數十名をして西陣新興會なる團體を結成せしめ、組長自 ら會長となり、會の事業の一として發行せる雜誌『西陣』を組合の機關紙としてこれに補助を與へ、或は時々諸般の調査・研究・視察等を囑し、彼等少壮機業家の眞摯なる研究の結果を容 るゝ等、精神的にも大に優遇の途を拓き、一般の向學心に拍車をかけるところがあつた。
特に組合が最も熱意を以て當つたのは、上記染織學校の利用で、同校は明治十九年開設された京都染織講習所を發祥とし、明治二十七年十月改稱以來府廰前に校舎を置き、機織色染の學術技藝を教授しつゝあつたが、色染科が洋式染料調合等の新知識を要するが爲めに、毎年の入 學希望者相當多きに上るに反し、機織科に至つては、組合員の多くが兎角父祖傳來の技巧を墨 守して足れりとし、寧ろ商業學校に入つて商業的知識を研ぎ經營上の能力を養ひ、以て商人に 對抗せんとするの風があり、上述の如く學資補助の途あるにも拘らず入學希望者は甚だ尠かつ た爲め、組合當局はこれを明治四十二年より業務を開始したる染織試驗場に結び付け、眞に學術と實際とを包含せんが爲めには、染織試驗場の隣地に移轉の必要を痛感し、明治四十三年 の頃よりこれが運動を開始し、その敷地たる相國寺所有地の賃借料を組合に於て負擔するの條 件を以て、遂に明治四十四年三月同校を烏丸上立賣上ルに移轉新築を見るに至らしめたもので、 上記敷地料の如きは、其後同校が機織色染のみならず、大正八年他の工業諸學科を併設したる にも拘らず、尚大正十一年三月まで本組合に於て負擔し來つたのである。
因に右染織學校は大正八年四月より京都市立工業學校と改め、大正十四年四月更に京都市立 第一工業學校と改稱し、現在は機織・色染兩科の外、工業化學・電氣・機械・建築の諸學科を置き、また第二部として機械・圖工の兩科、第二本科に電氣科等を併設し、校舎の狭隘に伴ひ、 昭和十年四月唐橋大宮尻町に移轉したが、明治二十七年以來機織科の卒業者本科別科を合せ三 百名の大部分は、我が西陣の中堅機業家として活躍せるのみならず、時代の進展に伴ひ、更に 高等の學理を究むべく、京都高等工藝學校の機織科に學ぶもの次第に多きを加ふるに至つたの は、一面組合が終始一貫向學心の涵養に努力し來つた功績に負ふところが甚だ尠くない。
五、工業權の保護獎勵と新製品の研究
舊套を墨守し、進取の氣魄に乏しかつた組合員に對し、染織試驗場を設置して新製品の獎勵 に努めた組合は、一方に特許・實用新案・意匠・商標上の權利の獲得を勸獎し、且つ既得の權益を保護するため、明治四十三年「工業權保護獎勵調査委員會」を設置し、組合の内外より學識経験ある人々を囑して委員に擧げ、これに組合職員中の技術者を参加せしめ、専らこれが調 査研究と獎勵保護に努め、また爭議の發生したる場合には、兩者の間に立ち仲裁裁定して圓滿なる解決を與へ、比較的複雑なる多数織物の紛議を未然に防止する等、大に組合員の福利増進に努力し來つたが、同時に織物又は織物の製造に關する新規考案をなし、斯業の上に裨益ある ものに對しては、愼重審議の上組合に登録して二ヶ午間の占用を保護し、更に新製品の研究に就ては「西陣振興調査委員會」を設置して染織試驗場と提携し、組合員中の経験あるもの、及 び染織試驗場の技術者を委員に囑託し、これに組合の技術者も参加して、西陣産業の振興、織物の新規考案並に織物の改良に關する事項に就き専ら比較研究を爲し、これが研究の結果に就て は随時組合員に發表周知せしむる等、西陣産業發展の爲めに顯著なる功績を收めた。
尚組合に於ては組合の振興調査會に於て考案し、或は組合員よりの寄附によつて所得したる各種の特許權を所有し、これを一般組合員に無償行使せしめて、その福利を享有せしめるの制度を採り、これら特許權中、絹絲とス・フ絲とを應用したる洋服地、絹絲とス・フ絲とを繋撚絲としたる婦人子供服地及コート地等は就中組合員に汎く利用せられたところのものであつた。



コメントを残す