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西陣織会館はなぜ堀川今出川にあるのか?

はじめに

堀川今出川に立つ西陣織会館は、地域で一番大きな建物と言ってよい巨大な建物で、西陣のランドマークでもあります。本当は奥にある西陣産業会館の方が大きいですが、奥にあってあまり目立ちません。

その西陣織会館の前身である西陣織物館が、今出川大宮東入の京都市考古資料館になっていることは、西陣に詳しい人ならご存じかもしれません。近くの今出川大宮バス停の裏に大きな「西陣」碑があるのが目印です。

京都市考古資料館(今出川大宮東入る)前の西陣碑

現在の西陣織会館は、この旧西陣織物館からすこし南東の、堀川今出川南入にあります。西陣織会館だけにとどまらず、その奥の西陣産業会館も、西陣織工業組合の関係団体の敷地です。西陣産業会館も西陣織会館と同じく、西陣の発展のために使用されています。(住宅や手織り体験の開催地、修学旅行生の食堂などとして)

それにしても旧西陣織物館、古色蒼然としているものの、立派な建物です。移転したからには何か経緯がありそうです。現在の西陣織会館・西陣産業会館は、どのような経緯で建てられたのでしょうか?

村雲御所時代

昭和25年の地図。竪門前町とある部分が現在の西陣織会館・西陣産業会館

この場所にはもともと、日蓮宗の瑞龍寺というお寺がありました。瑞龍寺のホームページを見ると、このような記述があります。

村雲瑞龍寺は、日蓮宗唯一の門跡由緒寺院でございます。
 開基されたのは、太閤豊臣秀吉の実姉、羽柴智(とも)の方でございました。羽柴智(とも)の方のご子息であられる関白豊臣秀次、秀勝、秀保は、非業の死を遂げ、さらに、秀次の一門は処刑されてしまいました。その菩提を弔うために出家し、瑞龍院日秀尼(にっしゅうに)と称しました。慶長元年(1596)、日秀尼は、後陽成天皇から京都嵯峨の村雲の寺地と「瑞龍寺」の寺号・寺領千石・菊花御紋・紫衣を賜り、寺を創建されました。
 代々、有栖川宮、伏見宮、そのほか皇族、華族などの女子息たちが九条家より入寺し、住職に就かれました。のちに、三代将軍徳川家光公から京都二条城内の殿舎を寄進され、嵯峨から堀川今出川に移転されました。天明の大火で焼失し再建するも、昭和36年に豊臣秀次の居城跡、八幡山城址に京都より移築されました。
 本尊は、一塔二尊四菩薩(釈迦牟尼如来)でございます。他に、天拝妙見大菩薩、聖観世音菩薩、天拝鬼子母尊神、
大黒天神、金生稲荷が祀られております。

西陣の織屋(織物製造業者)は伝統的に日蓮宗ですが、その背景にはこの瑞龍寺の影響があったでしょう。西陣は江戸時代より、幕府や朝廷の需要を取り込んできた産地だからです。主要な取引先である幕府・朝廷ゆかりの寺が西陣の真ん中にあったわけです。門跡寺院(皇室ゆかりの子女が代々入寺するお寺のこと)だったことは今の呼称からもわかり、現在も西陣織会館の南東入り口には「村雲御所跡」の石柱が立っています。

西武鉄道株式会社と村雲御所の買収

西武鉄道買収前の村雲御所の様子

西陣の宗教的中心地でもあった村雲瑞龍寺(村雲御所)は昭和36年(1961年)に移転しました。これについて、西陣織物工業組合刊「組合史」では、

昭和35年末、西武鉄道株式会社が、村雲御所(日蓮宗瑞龍寺・上京区堀川通今出川下る)を買収し、建物を近江八幡に移転して土地は売却したい意思を持っているとの情報を組合田島理事が理事会にもちこんだ。自動車時代をむかえ、西陣産地も狭隘さを痛感していただけに、この広大な土地、約二千七百坪を得られることは、まことに時宜を得たことであった。

と記述があります。

西武鉄道としては、村雲瑞龍寺の上物だけ近江八幡(西武創始者・堤康次郎の出身地)に持って行って、西陣業界の発展に資するためなら売却してもよいとの考えだったそうです。

この提案は西陣にとって大変魅力的でした。これに応じるため設立されたのが「西陣産業振興株式会社」であり、当時の定款の第一が「西陣繊維センター建設のための土地の貸与または売却」とあることからもその設立経緯がうかがえます。

西陣産業振興株式会社の発足で多額の株式払い込みを受けたものの、西武側が売却金額として提示した金額には足らなかったようです。その差額については、西陣業界発展の大義名分の意味から、当時西陣に本支店を持っていた12銀行(三菱銀行、三和銀行、東海銀行(以上3行は現在の三菱UFJ銀行)第一銀行、富士銀行(以上2行は現在のみずほ銀行)、三井銀行、住友銀行(以上2行は現在の三井住友銀行)、協和銀行、大和銀行(以上2行は現在のりそな銀行)、西陣信用金庫(現在の京都中央信用金庫の一部)、京都銀行、滋賀銀行)の協調融資によって賄われました。

西陣産業会館と西陣織会館の建設

西陣織会館建設前の西陣産業会館の様子。手前が堀川通

このようにして手に入れた土地の上に、まず建てられたのが西陣産業会館です。1,2階を西陣関連業界の店舗として3階から10階までをアパートとして利用するもので、38年(1963年)に地鎮祭、2年後に竣工式が行われました。かくして地下1階、地上10階、塔屋3階、延床面積5,700坪を誇る大ビルディングが西陣に誕生し、現在に至るまで存続しています。

一方の西陣織会館の完成については、西陣呼称500周年の周年事業として進められました。次回のブログでは、西陣呼称500周年事業と西陣織会館についてお伝えしましょう。

それでは!

(続きはこちら)

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