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前田達三氏(西陣織物館記著者)とは何者か

西陣織物館記を本ブログでは何度か紹介させていただいていますが、すでに掲載している部分に、少し気になる部分がありました。

編者が、長谷川西陣織物工業組合理事長数度の懇請により、同組合に就任したのが、此第三編起筆の昭和十三年七月である。編者前職の関係から、西陣の風紀はよく知つて居ても。其他の産業機構に付ては素人であるから。先ず「西陣研究」を読み。次で、「西陣史」と「織物常識」を昼夜通しての試験勉強。次に「西陣天狗筆記」と「西陣誌」の合本を精読した。

筆者前職の関係から、西陣の風紀についてはよく知っているといいます。また別のページには、このような記述があります。

長谷川組長が編者を西陣の組合へ就職するよう、再三勧めに来宅せられたので、編者は、此事を旧知の西陣通の新聞記者、川端堪然に話した処、「長谷市が何と謂をうと、西陣の組合では、如何程気張って功績を立ててやつても、其れが解る者は居ない。(略)君なぞ馬鹿々々しくて、続く筈が無い。あかんから止めとけ」と謂った。此事を長谷川組長に話した処、「今日の西陣組合は、京都商工会議所よりも、経済状態が安定して居って、(略)貴殿は唯私の代理として、無任所大臣で渉外に当り、西陣の内情に慣れて、次の時代に処して貰いたいと思うて居る」と答えた。其時に前記の見解を述べて此組合財産をも安全に守って呉れる人が必要であると付加えたのであるから、絶対に忘れようとしても忘れ得られないものである。

前田氏が一般の人とは異なる立場にある人間なのは間違いないです。では前田氏はいったい何者でしょうか。

前田氏の前職

前述の引用に、このような文言がありました。

編者前職の関係から、西陣の風紀はよく知つて居ても。其他の産業機構に付ては素人であるから

西陣周辺で働いているが、西陣機業に直接かかわってきたわけではないのでしょう。さらに新聞記者と旧知の仲にあり、長谷川市三氏とも縁があるとなると、一般の従業員でないのは間違いありません。

この時点である程度どんな仕事をしていたか見当がつくような気もします。ありえそうなのは、京都府・京都市などの行政、新聞記者と旧知の仲にあるというから京都新聞などの新聞社、あとは金融機関あたりでしょうか。何にせよ、産業機構については素人と言っているのだから、西陣機業の中心──織屋、貸機、出機、糸屋、染屋、整経屋、機料品屋とか──にいなかったのは間違いないでしょう。

人間のネットワークから探れることは多い

前田氏の性格

さらに考察の材料を求めて、さらに他の史料も見てみましょう。

抑々も清算組合が事ここに至りましたのは、前田氏の性格が然らしめて言動文筆に現はれそれがため旧組合員初め西陣織物工業組合役員並に組合員の方々の感情を害し或は御迷惑をお掛けするに至ったものと観察するのであります。

然し前田氏の是等の行動も西陣の将来のため、又組合財産を忠実に保護する熱意に外ならぬのでありますが、遺憾ながらその熱意の表現のしかたが気毒な性格のために誤ったにすぎないのであることを御憫察願いたいのであります。

前田氏は組合を思い、忠実であればこそ石崎数太郎氏に関する件で永年間富士銀行西陣支店との間に独軍奮闘した結果中立売通智恵光院所在の巨額な土地が組合財産となったのであります。(略)(財団法人西陣織物館記、当時の従業員の陳情書より)

従業員から慕われていた様子はここからうかがえます。(ちなみにこの中立売土地については、西陣織会館竣工の折に売却されています)

前田氏の発言も見てみましょう。以下は前田氏が清算人を解任されたときの発言です。

長年清算人をやりその前は理事であった。私は理事の間でも清算人になっても、その資格による報酬は一厘たりとももらっていない。また他の理事諸君は半期の賞与をもらったけれども私はそれももらっていない。また特別に役職手当も何も今日までもらっていない。つまり清算人であるけれども実は書記長であり、単なる一職員にしか過ぎない。ちっとも有難いものではなかった。

逆にいろんな苦労を私が負うたので、最後の弁済であろうと、税金の督促であろうと私が受けてきた。私は当初からそうは考えていなかった。

私は外部に対しては清算人としてその方が便利なときにはそうした。

内部に対しては清算人としてよりも自分の我をはったわけではないが、しかし清算人の決議は守らねばならぬから守っていた。

いままでもやめたかった。然しやめたらこの財産を守る人がないから、私はやめんと守ってきた。皆さんがでてきてこれを安全に守りぬくとおっしゃるのなら、これにこしたことはない。私が気にいらんことを言うておっても、 結局は自分のものになるわけではないのだから、またひとつは戦時中及び前の長谷川市三とかその輩下の遺言もあったりで、それに対して遵法せんならんものと思い遵法してきた。これが財産が一物も減らないといったところで、 我々が死んでしまえばしまいであるのと同じように、しょせん私たちは退職しなければならない職員である。だからやめろと言われればそれで結構であるが、私は希望して清算人になったのではなく、選挙されてなったのである。 だから清算人は裁判所の法規の規定によってなったのだから、裁判所にお出しになって裁判所が承諾すれば異議は申さない。

この我を張らず、あくまで粛々と、信念をもって業務を遂行する姿をみると、行政の人間のような気がします。金融機関や新聞社にそういうタイプの人間はあまりいないような。

西陣織物館記を読むに、前田氏はあくまで財産の保全を目的としていて、反面織屋の知的能力には全く期待していなかったようです。今はともかく昔の西陣は、大部分学歴がなかったことが知られており(小卒がほとんどで学歴に乏しく、娯楽についても、一時的快楽に逃れがちだったことは、京都二商の「西陣読本」にも記載がある)、その様子を見ている前田氏の判断は、正しい判断だったと思います。仮に前田氏が財産を保全していなかったら、西陣の財産は霧散し、現在の西陣織会館は影も形もなかったでしょう。

現在の西陣織物館(京都市考古資料館)

職員録にあたる

さて、前田氏がかつて行政の人間だったと決め打ちすると、京都府の職員録を当たってみるのが筋です。京都府総合資料館に蔵書があるようですから、行って調べてみたら、以下の職員録に氏の名前がありました。

七条警察署 警部 前田達三(大正12年職員録)

監督課 嘱警部建築監督官補 前田達三(上京、荒神口、河原町西担当)
(大正15年職員録)

北野消防署 消防士 署長兼警部 前田達三(昭和2年~昭和5年職員録) 

やはり前田氏は行政の人間でした

昭和13年に組合就任ですから、その前年まですべて職員録を確認しましたが、氏の名前はありませんでした。当時の行政の異動の状況や制度についてはわかりませんが、京都府外に行ったか他の仕事に転職したかでしょう。単に無職だった可能性も、なくはないです。(長谷川氏が訪ねてくるくらいですから、その場合も何かしらの仕事はしていたと想像します)

それにしても警察出身とは、盲点だったと感じざるを得ません。西陣を担当する京都府の部署といえば、商工部とか労働部(今は合併して、商工労働観光部になっている)だから、そのあたりかと思ったのですが。

確かに前田氏の正義感の強さ、遵法意識、「西陣の風紀についてはよく知っていても」の文言、西陣人に対する(遵法意識の点での)不信……を勘案すると、なるほど確かに、すべてが伏線だったように思えます。

京都府庁(https://www.pref.kyoto.jp/qhonkan/より)

前田氏の年齢

さて先ほど調べた職員録、大正12年から記載があったのも意外ですが、初出の時点で警部ということは、中級官吏の試験にパスしていたと推察できます。

前田氏が何歳くらいか、わからないですが、大正12年で働いているなら確実に生まれは明治です。前田氏の書きぶりと、警部の役職から見るに、高校までは出ているでしょう。京都の地方中級官吏になっているあたり、間違いないと思います。

前田氏が文献から消えるのが昭和47年あたりなことを踏まえると、明治36年あたりに生まれ、20歳くらいで高校卒業、官吏になり、35で西陣織物工業組合就任、69で清算人から除名と考えると、かなりありうる線に思えます。なおgoogle先生によると、戦前警察の中級官吏は、警部がスタートだったとのこと。

まとめ

つらつらと書き連ねてきましたが、ようやく前田氏がどんな人物か見えてきました

  • 前田氏は行政出身で、その中でも警察の出身である。
  • 昭和5年以降の足取りは不明だが、おそらくは西陣周辺にとどまっていた。
  • 高校卒業程度の学歴があり、西陣の財産保全について、織屋集団には任せておけないと考えていた。
  • 長谷川元組長の遺言等を守って、70歳近くまで西陣に生涯を捧げた。

前田氏は今の組合の各種記録では、我欲で清算を邪魔して自分のものにしようとしているのだとか、散々な書かれ方をしています。が、このように種々調べてみると見え方も変わってきます。前田氏の各種行動は、織屋の見識に対する不信に端を発するもので、「然しやめたらこの財産を守る人がないから、私はやめんと守ってきた。皆さんがでてきてこれを安全に守りぬくとおっしゃるのなら、これにこしたことはない」と前田氏が言ったのも、完全に本心だと思います。

私のこの記事を端緒に、前田氏の名誉が回復され、正当に評価されるようになると幸いです。

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